若林仁 (野球)
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 山梨県南巨摩郡南部町 |
生年月日 | 1956年11月5日(68歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1974年 ドラフト4位 |
初出場 | 1980年8月14日 |
最終出場 | 1980年8月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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若林 仁(わかばやし ひとし、1956年11月5日 - )は、山梨県南巨摩郡南部町出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]中学時代は捕手であったが、1972年に進学した身延高校で投手に転向。2年次の1973年には秋季関東大会県予選決勝に進むが、日川高に敗退。3年次の1974年には春季関東大会県予選で36イニング連続無失点を記録し本大会に進出すると、準々決勝ではエース工藤一彦を欠く土浦日大を降すが、準決勝で鹿沼商工に敗れた。同年夏の甲子園県予選は準決勝で塩山商に敗退し、甲子園には出場できなかった。
同年のドラフト4位でロッテオリオンズに入団。球質とを武器にしたほか、投球フォームの美しさには定評があった。1年目の1975年、広島とのオープン戦第1試合で20年目の若生智男と3イニングを投げ合った。180cm、80kgから投げ込む球質の重い快速球、大きく割れるカーブ、シュートと投球にも幅があり、首脳陣からは「ドラフト1位の菊村徳用より球威も将来性もかなり上」と評価された。開幕後はあっさり打ちこまれ、ヤクルト戦(武山)では1回2点、2回にも2点と先制攻撃にあって、3年先輩の松岡清治に投げ負けている。巨人戦(多摩川)では同期の定岡正二と投げ合ったが、多摩川に1万5000人が集まった日で大観衆を意識してしまい、富田勝に3ラン本塁打を浴び、計5点を献上、回途中で降板してしまった。首脳陣からは「球質が重くていいのだが、配球の組み立てがまだ甘い」と評価されてしまった。秋には韓国遠征のメンバーにも選出されたが、2年目の1976年春のキャンプで肩と肘を痛める。1980年に初登板を果たすが、その後は登板機会がなく1981年限りで現役を引退。
引退後は帰郷して中央化学富沢工場に入る。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1980 | ロッテ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 8 | 0.1 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 81.00 | 70.00 |
通算:1年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 8 | 0.1 | 5 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 81.00 | 70.00 |
記録
[編集]背番号
[編集]- 19 (1975年 - 1977年)
- 48 (1978年 - 1981年)