コンテンツにスキップ

野間郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2024年8月3日 (土) 10:06; 八神妙十郎 (会話 | 投稿記録) による版 (明治維新後: 神宮と大西町宮脇は隣接していません。間に位置する野間を追加します。)(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
愛媛県野間郡の位置

野間郡(のまぐん)は、愛媛県伊予国)にあった

古代

[編集]

怒麻国造の領域を中心として建てられた。

式内社

[編集]

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
野間郡 1座(大)
野間神社 名神大 野間神社 愛媛県今治市神宮 [1]
凡例を表示

明治維新後

[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、今治市の一部(波止浜、高部、延喜、阿方、しまなみの杜、しまなみヒルズ、山路、山路町、矢田、神宮、野間、大西町各町、菊間町各町以西および来島小島)にあたる[1]

沿革

[編集]
県村、矢田村[2]、山路村[2]、神宮村、野間村、延喜村、宅間村、樋口村、杣田村、高部村、波方村、来島[3]、九王村、紺原村、新町村、大井浜村、宮脇村、山之内村、脇村、星浦村、別府村、佐方村、種村、池原村、松尾村、川上村[4]、河之内村、中川村、高田村、西山村、長坂村、浜村、波止浜村[5]
31.波止浜村 32.波方村 33.乃万村 34.大井村 35.小西村 36.亀岡村 37.歌仙村 38.菊間村(紫:今治市 1 - 29は越智郡)
  • 明治11年(1878年12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、行政区画としての野間郡が発足。「風早野間郡役所」が風早郡北条村に設置され、同郡とともに管轄。
  • 明治13年(1880年)(33村)
    • 阿方村の一部が分立して矢田村・山路村となる。
    • 松尾村の一部が分立して川上村となる。
  • 明治17年(1884年)11月 - 「越智野間郡役所」が越智郡今治町に設置され、同郡とともに管轄。
  • 明治22年(1889年12月15日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足[6]。全域が現・今治市。(8村)
    • 波止浜村 ← 高部村、来島、波止浜村、杣田村
    • 波方村 ← 樋口村、波方村、小部村[7]、森上村[7]、馬刀潟村[7]、宮崎村[7]
    • 乃万村 ← 宅間村[大部分]、延喜村、野間村、神宮村、矢田村、山路村、阿方村、紺原村[一部]、九王村[一部]
    • 大井村 ← 新町村、大井浜村、宮脇村、九王村[大部分]、紺原村[大部分]、宅間村[一部]
    • 小西村 ← 山之内村、脇村、星浦村、別府村、九王村[一部]
    • 亀岡村 ← 佐方村、種村
    • 歌仙村 ← 池原村、高田村、松尾村、河之内村、川上村、中川村
    • 菊間村 ← 浜村、長坂村、西山村
  • 明治30年(1897年4月1日 - 郡制の施行により、越智郡・野間郡の区域をもって、改めて越智郡が発足。同日野間郡廃止。

脚注

[編集]
  1. ^ 町名変更区域の境界は不詳。
  2. ^ a b 記載は県村のうち。
  3. ^ 記載は「来島・小島」。
  4. ^ 記載は松尾村のうち。
  5. ^ 無高のため「旧高旧領取調帳」には記載なし。
  6. ^ 読み方は「旧高旧領取調帳データベース」を参照。
  7. ^ a b c d 波方村の枝郷。本項では村数に数えない。

参考文献

[編集]
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

[編集]
先代
-----
行政区の変遷
- 1897年
次代
越智郡