コンテンツにスキップ

鎮南 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
発注: 1875年(光緒元年)両江総督 李宗羲
建造所: アームストロング社エルジック造船所
起工: 1879年
進水: 1879年
就役: 1880年
除籍: 1903年8月21日雑役船編入
廃船: 1908年5月15日
所属: 清国海軍
 大日本帝国海軍
性能諸元
排水量: 常備:420t
全長: 垂線間長:36.6m
全幅: 8.8m
吃水: 2.9m
機関: 2軸レシプロエンジン2基
420馬力
最大速: 10.0kt
兵員: 28名
兵装: 28cm砲1基
12ポンド砲1基
その他: 信号符字:GQHP(1895年〜)[1]

鎮南(ちんなん、鎭南)は、日本海軍砲艦。元清国海軍の鎮東型砲艦「鎮南 Chen-Nan」で日清戦争戦利艦である。

艦歴

[編集]

1880年、イギリスニューカッスルアームストロング社エルジック工場で竣工、清国北洋水師に所属した。

日清戦争時の1895年明治28年)2月17日、威海衛で捕獲され、3月16日に日本艦籍に編入された[2]。その後の日清戦争中には国内警備に従事した。1898年(明治31年)3月21日、日本海軍は海軍軍艦及び水雷艇類別標準を制定し、1,000トン未満の砲艦を二等砲艦と定義[3]。鎮南は二等砲艦に類別される[4]

1903年(明治36年)8月21日に除籍され雑役船に編入、1908年(明治41年)4月20日、佐世保海兵団長宮地貞辰大佐は、船体腐食のため鎮南を還納処分とすることを上申[5]、5月15日に上申が承認されて廃船[6]、1913年2月12日に売却報告。

艦長

[編集]

※『官報』に基づく。

  • 馬場祐内 大尉:1900年12月6日 - 1901年3月23日

同型艦

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ #信号符字点附 画像1『四月四日 軍艦須磨其他ノ艦舩ヘ點附ノ信號符字 逓信省告示 ○逓信省告示第七十一號 軍艦須磨其他ノ艦船ヘ點附ノ信號符字ハ左ノ如シ 明治二十八年四月四日 逓信大臣渡邊国武 信号符字 艦船名 … GQHP 鎭南 Chin-nan. …(以下略)…』
  2. ^ #編入 画像1『三月十六日 捕獲清國軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝國軍艦トス 海軍省達 ○海軍省達第十六號 捕獲清國軍艦鎭遠、濟遠、平遠、廣丙、鎭東、鎭西、鎭南、鎭北、鎭中、鎭邊ノ十艘ヲ帝國軍艦ト定メラル 明治二十八年三月十六日 海軍大臣伯爵西郷從道』
  3. ^ #達明治31年3月(1) 画像14『達第三十四號 海軍大臣ニ於テ別表ノ標準ニ據リ軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ定メ若ハ其ノ變更ヲ行フコトヲ得セシメラル 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道』
  4. ^ #達明治31年3月(1) 画像15・16『達第三十五號 軍艦及水雷艇ノ類別及等級ヲ別紙ノ通リ定ム 明治三十一年三月二十一日 海軍大臣侯爵 西郷從道 軍艦|砲艦|二等|… 鎭南 …(以下略)…|』
  5. ^ #売却其他諸処分(2) 画像4『佐海團第一八四號 明治四十一年四月二十日 佐世保海兵團長宮地貞辰 佐世保鎮守府司令長官男爵瓜生外吉殿 雑役舩鎮南ノ件 本團附属舩鎮南ハ舩体既ニ腐蝕シ最早航海ニ不堪汽舩鳥海新ニ本團ニ附属セシメラレ候ニ就テハ此際滊舩鎮南ヲ還納候儀御承認ヲ得度 右上申ス』
  6. ^ #売却其他諸処分(2) 画像3『佐鎮第一八號ノ二六ノ二 明治四十一年五月五日 佐世保鎮守府司令長官男爵瓜生外吉 海軍大臣男爵齋藤實殿 雑役舩鎮南ノ件 雑役舩鎮南ニ關シ別紙佐海團第一八四號佐世保海兵團長上申ニ對シ承認セリ 右報告ス』

                        

参考資料

[編集]
  • 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦』ダイヤモンド社、2005年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 官報
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十四巻・軍事二・陸軍二・海軍:捕獲清国軍艦鎮遠以下十艘ヲ帝国軍艦トス』。Ref.A01200839500。 
    • 『公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二十七巻・交通(郵便~船車):軍艦須磨其他ノ艦船ヘ点附ノ信号符字』。Ref.A15113036900。 
    • 『明治31年 達 完:3月(1)』。Ref.C12070040500。 
    • 『明治41年 公文備考 巻15艦船8:売却其他諸処分(2)』。Ref.C06092003500。 

関連項目

[編集]