樋沢良信
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 岩手県久慈市 |
生年月日 | 1950年1月21日(74歳) |
身長 体重 |
178 cm 70 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1970年 ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ・監督歴 | |
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この表について
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樋澤 良信(ひざわ よしのぶ、1950年1月21日 - )は、岩手県久慈市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
来歴・人物
[編集]東北高等学校から日本電信電話公社東北支社(電電東北、現在のNTT東日本宮城支店)へ入社した後に、同社硬式野球部(現在の東北マークス)所属の内・外野手として社会人球界で活躍。1970年のNPBドラフト会議において、読売ジャイアンツ(巨人)から4位で指名された。
電電東北からは1970年に佐藤政夫(高校の後輩にも当たる左投手)が巨人に入団していたが、1年在籍しただけで(この年から1972年までシーズン終了後に年に1回開催されていた)プロ野球選抜会議(ドラフト会議と同じ趣旨・要領で開催された「トレード会議」)を通じてロッテオリオンズへ移籍した。このような事情から、佐藤に続いて樋沢が巨人に指名されたことに対して、電電東北側は態度を硬化。樋沢への入団交渉に訪れたスカウトに対して、雁部昭八監督(当時)が「(佐藤をわずか)1年で選抜会議に出すのなら、もう交渉に来なくてもいい」と言い放つ局面もあった[1]が、結局は入団に漕ぎ着けた。
内外野を守れる万能選手で、巨人への入団直後には「土井(正三)2世」という期待を寄せられた。しかし、故障が相次いだことなどから、一軍公式戦での出場機会がないまま1975年末に現役を引退。引退後も球団に残って、スカウト・チーフスコアラー・記録室長を約10年、一軍から三軍までの内・外野守備コーチを5年間担当した。また、2005年から2010年末の定年退職までは、独身の若手選手を預かる「ジャイアンツ寮」の寮長を務めていた。
巨人の球団史において、選手として入団してから球団職員として定年を迎えるまで、一貫して同球団に在籍していた人物は樋沢だけとされる[2]。定年退職後は、講演活動やインタビューなどで、巨人時代の経験や球界の大物選手・OBとのエピソードを披露。その一方で、2014年3月からは玉川大学硬式野球部の監督を7年間務めた[3][4]。
5人兄弟の末っ子で、実兄(4番目の子)は出身地の久慈市で喫茶店を経営。2013年度前期NHK朝の連続ドラマ『あまちゃん』の劇中に登場する「リアス」(架空の駅である「北三陸駅」構内の喫茶店)は、この喫茶店をモデルにしている[5]。自身も、『吉田類の酒場放浪記』の第355回と『おんな酒場放浪記』の第144回(栗原友が「旅人」として出演した回、いずれもBS-TBSで放送)を読売ランド前の居酒屋「忠’ちゃん」で撮影した際に登場している。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 37 (1971年 - 1975年)
- 111 (1990年 - 1991年)
- 75 (1992年 - 1995年)
脚注
[編集]- ^ “コンニャク投法サウスポー佐藤政夫は「現役ドラフト」で巨人から放出”. Sportiva. p. 6 (2021年12月10日). 2022年11月29日閲覧。
- ^ 元巨人軍寮長「樋沢良信」氏が語る~人材育成法~を参照。
- ^ “巨人OB寮長・樋沢氏、玉川大新監督就任「ワクワクしている」”. スポーツ報知. 2014年3月18日閲覧。
- ^ “元巨人・松本匡史氏が首都2部の玉川大監督に就任”. スポーツ報知 (2021年3月3日). 2021年8月12日閲覧。
- ^ NHK総合テレビで2013年6月10日に放送された『鶴瓶の家族に乾杯』久慈市ロケより。このロケには、『あまちゃん』で「リアス」を切り盛りしている天野春子役の小泉今日子も同行していた。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 樋沢良信のプロフィール
- 樋沢良信のブログ - ウェイバックマシン(2014年7月14日アーカイブ分)