コンテンツにスキップ

「中西輝政」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
1行目: 1行目:
'''中西 輝政'''(なかにし てるまさ、[[1947年]][[6月18日]] - )は、[[日本]]の[[国際政治学者]]で、[[京都大学]][[大学院]]人間・環境学研究科[[教授]]。
'''中西 輝政'''(なかにし てるまさ、[[1947年]][[6月18日]] - )は、[[日本]]の[[国際政治学者]]で、[[京都大学]][[大学院]]人間・環境学研究科[[教授]]。


[[親米保守]]の代表的論客の一人。[[グローバル化]]が進展する今日にあっても、国家という枠組みは依然健在であるとの考えから、「押し返す[[保守]]による日本の再生」を主張する。日本を海洋国家と捉え、英米の国家運営を模範とすることを説く。[[安倍晋三]]のブレーンと目される。
わが国における[[親米保守]]の代表的論客の一人。[[グローバル化]]が進展する今日にあっても、国家という枠組みは依然健在であるとのリアリズム論の立場から、「押し返す[[保守]]による日本の再生」を主張する。日本を海洋国家と捉え、英米の国家運営を模範とすることを説く。[[安倍晋三]]のブレーンと目される。
専門は、[[国際関係論|国際政治学]]、[[イギリス史]]、文明論。
専門は、[[国際関係論|国際政治学]]、[[イギリス史]]、文明論。


10行目: 10行目:
[[正論 (雑誌)|正論]]、[[諸君]]、[[Voice (雑誌)|VOICE]]などの保守系オピニオン誌の常連寄稿者であり、[[文明]]の観点から現代の国際関係をダイナミックに分析する。また、[[戦後民主主義]]批判も多く論じている。加えてイギリス史を当初の専門としたことを反映し、情報・諜報研究についても積極的な発言を行なっている。[[反共主義]]の立場から[[マッカーシズム]]を極めて肯定的に評価。
[[正論 (雑誌)|正論]]、[[諸君]]、[[Voice (雑誌)|VOICE]]などの保守系オピニオン誌の常連寄稿者であり、[[文明]]の観点から現代の国際関係をダイナミックに分析する。また、[[戦後民主主義]]批判も多く論じている。加えてイギリス史を当初の専門としたことを反映し、情報・諜報研究についても積極的な発言を行なっている。[[反共主義]]の立場から[[マッカーシズム]]を極めて肯定的に評価。


一方で、「[[阪神大震災]]の際、倒壊した[[在日朝鮮人]]所有家屋の下から武器庫が見つかりそこには北朝鮮の武器が多数あったという 災害の混乱に乗じて在日たちが蜂起する可能性も否定出来ない」「2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して[[小泉純一郎]]首相と[[金正日]]総書記だけが密談する「空白の10分間」が存在した」「[[張作霖爆殺事件]]は旧[[ソ連]]と[[コミンテルン]]による犯行だった」「「少子化を憂う必要はない、[[格差社会]]が広がり[[コンドーム]]を買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える」等、典拠が明確でなく、物議を醸した発言も少なくない。この手の発言が原因で[[田中真紀子]]から間接的ながら揶揄されている。
一方で「2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して[[小泉純一郎]]首相と[[金正日]]総書記だけが密談する「空白の10分間」が存在した」「[[張作霖爆殺事件]]は旧[[ソ連]]と[[コミンテルン]]による犯行だった」「「少子化を憂う必要はない、[[格差社会]]が広がり[[コンドーム]]を買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える」等、典拠が明確でな発言も見られる。この手の発言[[田中真紀子]]から[[安倍信三]]首相に対する予算委員会での質疑中に、間接的ながら揶揄されている。また、安倍信三のブレインと目されるなど、研究者としての立場を逸脱し政治にコミットし過ぎているとの批判もある。


また、かつては[[アメリカ]]主導の[[湾岸戦争]]に異議を唱えたり、[[北方領土]]問題について政経不可分を放棄し、領土問題を棚上げして対ソ支援を積極的に行うべきとの主張を行うなど、現在の主張とはかけ離れた一面をのぞがせていた。こうした点を[[中川八洋]]などから突っ込まれ、左翼呼ばわりされている。
また、かつては[[アメリカ]]主導の[[湾岸戦争]]に異議を唱えたり、[[北方領土]]問題について政経不可分を放棄し、領土問題を棚上げして対ソ支援を積極的に行うべきとの主張を行うなど、現在の主張とはかけ離れた一面をのぞがせていた。こうした点を[[中川八洋]]などから突っ込まれ、左翼呼ばわりされている。

2007年2月16日 (金) 05:11時点における版

中西 輝政(なかにし てるまさ、1947年6月18日 - )は、日本国際政治学者で、京都大学大学院人間・環境学研究科教授

わが国における親米保守の代表的論客の一人。グローバル化が進展する今日にあっても、国家という枠組みは依然健在であるとのリアリズム論の立場から、「押し返す保守による日本の再生」を主張する。日本を海洋国家と捉え、英米の国家運営を模範とすることを説く。安倍晋三のブレーンと目される。 専門は、国際政治学イギリス史、文明論。

略歴

大阪府生まれ。大阪府立北野高等学校1971年京都大学法学部1974年同大学院法学研究科修士課程修了。1977年までケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジ大学院で国際関係史を学ぶ。 京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授を経て、1995年より現職。

正論諸君VOICEなどの保守系オピニオン誌の常連寄稿者であり、文明の観点から現代の国際関係をダイナミックに分析する。また、戦後民主主義批判も多く論じている。加えてイギリス史を当初の専門としたことを反映し、情報・諜報研究についても積極的な発言を行なっている。反共主義の立場からマッカーシズムを極めて肯定的に評価。

一方で「2002年の小泉訪朝の際、随行員を排除して小泉純一郎首相と金正日総書記だけが密談する「空白の10分間」が存在した」「張作霖爆殺事件は旧ソ連コミンテルンによる犯行だった」「「少子化を憂う必要はない、格差社会が広がりコンドームを買えない貧困層が増えれば子どもはすぐ増える」等、典拠が明確でない発言も見られる。この手の発言を田中真紀子から安倍信三首相に対する予算委員会での質疑中に、間接的ながら揶揄されている。また、安倍信三のブレインと目されるなど、研究者としての立場を逸脱し政治にコミットし過ぎているとの批判もある。

また、かつてはアメリカ主導の湾岸戦争に異議を唱えたり、北方領土問題について政経不可分を放棄し、領土問題を棚上げして対ソ支援を積極的に行うべきとの主張を行うなど、現在の主張とはかけ離れた一面をのぞがせていた。こうした点を中川八洋などから突っ込まれ、左翼呼ばわりされている。

京都大学での恩師は高坂正堯ケンブリッジ大学での恩師はハリー・ヒンズリー。この2人と並び、特に江藤淳から大きな影響を受けたと、随筆の中で述懐している。

2002年7月新しい歴史教科書をつくる会の理事に就任したが2006年5月辞任。翌6月八木秀次と共に「日本教育再生機構」の設立に代表発起人として関与。

受賞歴

著作

単著

  • 『国際情勢の基調を読む――ポスト米ソ二極時代の新世界秩序とは』(PHP研究所, 1991年
  • 『もっとスマートに大国日本――日本外交維新に向けて』(弘文堂, 1992年
  • 『回帰する歴史――「海洋の世紀」から「大陸の世紀」へ』(PHP研究所, 1994年
  • 『大英帝国衰亡史』(PHP研究所, 1997年PHP文庫, 2004年)
  • 『国まさに滅びんとす――英国史にみる日本の未来』(集英社, 1998年文藝春秋文春文庫], 2002年
  • 『なぜ国家は衰亡するのか』(PHP研究所, 1998年)
  • 『北朝鮮と国交を結んではいけない』(小学館小学館文庫], 2000年
  • 『いま本当の危機が始まった』(集英社, 2001年/文藝春秋[文春文庫], 2004年
  • 『日本の「敵」』(文藝春秋, 2001年/文春文庫, 2003年
  • 『国家としての選択』(國民會館, 2002年)
  • 『国民の文明史』(扶桑社, 2003年)
  • 『日本の「死」』(文藝春秋, 2003年/文春文庫, 2005年)
  • 『帝国としての中国――覇権の論理と現実』(東洋経済新報社, 2004年)
  • 『アメリカ外交の魂――帝国の理念と本能』(集英社, 2005年)
  • 『日本の「覚悟」』(文藝春秋, 2005年)
  • 『日本文明の興廃――いま岐路に立つ、この国』(PHP研究所, 2006年)
  • 『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』(PHP研究所[PHP新書], 2006年)

共著

編著

  • 『憲法改正』(中央公論新社, 2000年)
  • 『「日本核武装」の論点――国家存立の危機を生き抜く道』(PHP研究所, 2006年)

共編著

関連項目

外部リンク