コンテンツにスキップ

「近田春夫&ハルヲフォン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
活動期: 微修正
活動期: 情報追加
24行目: 24行目:
| Current_members = {{plainlist|
| Current_members = {{plainlist|
*[[近田春夫]]<small>([[ボーカル]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]])</small>
*[[近田春夫]]<small>([[ボーカル]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]])</small>
*[[キャロン・ホーガン]]<small>(ボーカル)</small>
*小林克巳<small>([[ギター]]、[[ボーカル]])</small>
*[[高木英一]]<small>([[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[ボーカル]])</small>
*恒田義見<small>([[パーカッション]]、[[ドラム]]、[[ボーカル]])</small>
*恒田義見<small>([[パーカッション]]、[[ドラム]]、[[ボーカル]])</small>
*長谷川康之<small>([[ドラムセット|ドラム]])</small>}}
*[[高木英一]]<small>([[ベース (弦楽器)|ベース]]、[[ボーカル]])</small>
*小林克巳<small>([[ギター]]、[[ボーカル]])</small>}}
| Past_members = {{plainlist|
| Past_members = {{plainlist|
*[[キャロン・ホーガン]]<small>(ボーカル)</small>
*長谷川康之<small>([[ドラムセット|ドラム]])</small>
*松本恒男<small>(ギター)</small>
*松本恒男<small>(ギター)</small>
*佐伯正志<small>(ベース)</small>
*佐伯正志<small>(ベース)</small>
41行目: 41行目:
[[1972年]]([[昭和]]47年)、近田春夫と恒田義見が中心となって結成された。当初のギターは松本恒男(元 [[布谷文夫|DEW]])、ベースは佐伯正志(元 [[クリエイション (バンド)|ブルース・クリエイション]])であった<ref name="恒田">恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/cat_50027836.html ハルヲフォン誕生]」([[2008年]][[12月14日]]付)の記述を参照。</ref>。その後ベースが恒田の[[立教新座中学校・高等学校|立教高等学校]]時代の後輩である[[高木英一]]に交代、「'''デューク柏淵とビブラトーンズ'''」名義でも活動をした<ref name="恒田" />。さらにギターが小林克巳に交代、[[1974年]](昭和49年)、正式に結成。当時は'''ハルヲフォン'''名義。
[[1972年]]([[昭和]]47年)、近田春夫と恒田義見が中心となって結成された。当初のギターは松本恒男(元 [[布谷文夫|DEW]])、ベースは佐伯正志(元 [[クリエイション (バンド)|ブルース・クリエイション]])であった<ref name="恒田">恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/cat_50027836.html ハルヲフォン誕生]」([[2008年]][[12月14日]]付)の記述を参照。</ref>。その後ベースが恒田の[[立教新座中学校・高等学校|立教高等学校]]時代の後輩である[[高木英一]]に交代、「'''デューク柏淵とビブラトーンズ'''」名義でも活動をした<ref name="恒田" />。さらにギターが小林克巳に交代、[[1974年]](昭和49年)、正式に結成。当時は'''ハルヲフォン'''名義。


[[内田裕也]]系の[[ロックンロール]]や[[ファンク]]系[[ディスコ (音楽)|ディスコサウンド]]を追求しており、翌[[1975年]](昭和50年)、[[キャロン・ホーガン]]を[[ボーカル]]に据え[[シングル]]『[[FUNKYダッコNo.1]]』で[[キングレコード]]からデビュー<ref>CD[[コンピレーション・アルバム]]『ニューロックの夜明け 番外編9 キング・ニューロック・シングル集 ファンキー・ダッコNo.1』のライナーの記述を参照。</ref>。当時のメンバーは、近田、恒田、高木、小林、キャロン、長谷川康之(ドラム:前年に短期間在籍していた金沢純の後任)の6人<ref name="恒田" />。同楽曲は、玩具業界戦後最大のヒットと言われた「[[ダッコちゃん]]」を[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]が復刻した際の[[タイアップ]]曲。同年、近田は、[[クールス]]の1stアルバムを[[音楽プロデューサー|プロデュース]]した<ref>「[[クールス]]」の項の記述を参照。</ref>。
[[内田裕也]]系の[[ロックンロール]]や[[ファンク]]系[[ディスコ (音楽)|ディスコサウンド]]を追求しており、翌[[1975年]](昭和50年)、[[キャロン・ホーガン]]を[[ボーカル]]に据え[[シングル]]『[[FUNKYダッコNo.1]]』で[[キングレコード]]からデビュー<ref>CD[[コンピレーション・アルバム]]『ニューロックの夜明け 番外編9 キング・ニューロック・シングル集 ファンキー・ダッコNo.1』のライナーの記述を参照。</ref>。当時のメンバーは、近田、恒田、高木、小林、キャロン、長谷川康之(ドラム:前年に短期間在籍していた金沢純の後任)の6人<ref name="恒田" />。同楽曲は、玩具業界戦後最大のヒットと言われた「[[ダッコちゃん]]」を[[タカラ (玩具メーカー)|タカラ]]が復刻した際の[[タイアップ]]曲。同年、近田は、[[クールス]]の1stアルバムを[[音楽プロデューサー|プロデュース]]した<ref>「[[クールス]]」の項の記述を参照。</ref>。その後、キャロンと長谷川が脱退して4人編成となる<ref>{{Cite web |title=Rock'n Roll My Way ⑦ ハルヲフォン2 - 鼓曲萬来 |url=https://blog.goo.ne.jp/cohan2005/e/c05c40c118e82b4babe417bd39164ede |website=goo blog |access-date=2024-01-26 |language=ja}}</ref>。


[[1976年]](昭和51年)、1stアルバム『[[COME ON LET'S GO]]』を発表。同作には近田がクールスに提供した楽曲『シンデレラ』(1975年)のセルフカバー・バージョンを収録。同年、[[グループ・サウンズ]]をカバーする企画に複数のアーティスト(神無月やV.S.O.P.など)とともに参加してオムニバス・アルバム『[[リメンバー・グループ・サウンズ|リメンバー・グループ・サウンド]](リメンバーG.S. 1・2)』を発表。
[[1976年]](昭和51年)、1stアルバム『[[COME ON LET'S GO]]』を発表。同作には近田がクールスに提供した楽曲『シンデレラ』(1975年)のセルフカバー・バージョンを収録。同年、[[グループ・サウンズ]]をカバーする企画に複数のアーティスト(神無月やV.S.O.P.など)とともに参加してオムニバス・アルバム『[[リメンバー・グループ・サウンズ|リメンバー・グループ・サウンド]](リメンバーG.S. 1・2)』を発表。

2024年1月26日 (金) 06:44時点における版

近田春夫&ハルヲフォン
出身地 日本の旗 日本東京都
学歴
ジャンル
活動期間
レーベル キングレコード・CARAWAY RECORDS
共同作業者 森園勝敏
メンバー
旧メンバー
筒美京平郷ひろみ

近田春夫&ハルヲフォン(ちかだはるお とハルヲフォン、1972年 / 1974年 結成 - 1979年 解散 / 2006年 再結成)は、日本のニュー・ウェイヴロックバンドである。近田春夫の作家性・批評性に負うところが大きい。

略歴

活動期

1972年昭和47年)、近田春夫と恒田義見が中心となって結成された。当初のギターは松本恒男(元 DEW)、ベースは佐伯正志(元 ブルース・クリエイション)であった[1]。その後ベースが恒田の立教高等学校時代の後輩である高木英一に交代、「デューク柏淵とビブラトーンズ」名義でも活動をした[1]。さらにギターが小林克巳に交代、1974年(昭和49年)、正式に結成。当時はハルヲフォン名義。

内田裕也系のロックンロールファンクディスコサウンドを追求しており、翌1975年(昭和50年)、キャロン・ホーガンボーカルに据えシングルFUNKYダッコNo.1』でキングレコードからデビュー[2]。当時のメンバーは、近田、恒田、高木、小林、キャロン、長谷川康之(ドラム:前年に短期間在籍していた金沢純の後任)の6人[1]。同楽曲は、玩具業界戦後最大のヒットと言われた「ダッコちゃん」をタカラが復刻した際のタイアップ曲。同年、近田は、クールスの1stアルバムをプロデュースした[3]。その後、キャロンと長谷川が脱退して4人編成となる[4]

1976年(昭和51年)、1stアルバム『COME ON LET'S GO』を発表。同作には近田がクールスに提供した楽曲『シンデレラ』(1975年)のセルフカバー・バージョンを収録。同年、グループ・サウンズをカバーする企画に複数のアーティスト(神無月やV.S.O.P.など)とともに参加してオムニバス・アルバム『リメンバー・グループ・サウンド(リメンバーG.S. 1・2)』を発表。

1977年(昭和52年)、2ndアルバム『ハルヲフォン・レコード』を発表。同年、TBSテレビぎんざNOW!』にレギュラー出演。同年10月から、ニッポン放送オールナイトニッポン』の火曜2部(1977年10月 - 1979年3月)のラジオパーソナリティに就任[5]

1978年(昭和53年)、3rdアルバム『電撃的東京』を発表。全編が歌謡曲のカバーで構成されたコンセプト・アルバム。同年、雑誌『POPEYE』(平凡出版、現マガジンハウス)で『THE 歌謡曲』の連載を開始[6]したり、TBSムー一族』(1978年5月17日 - 1979年2月7日)に「ヘホ」役でレギュラー出演するなど、近田のソロ活動領域が増える一方で、1979年(昭和54年)、バンドは解散した。シングル『恋のグンギンナイト』が1979年に発売されるとアナウンスされていたが、実現しなかった[注釈 1]

1980年(昭和55年)、2種類の編集アルバム(ベスト盤的な位置づけの作品)を発表。1つは7月に発売された『Time, Place & Occasion』で、収録曲の半数近くを近田のソロ作品が占めた。もう1つは9月に発売された『ハルヲフォン・メモリアル』で、収録曲の約半分が『リメンバー・グループ・サウンド』から選ばれた。

再評価期

1989年(平成元年)3月21日、『電撃的東京』がCDで発売され、同年10月21日には、『COME ON LET'S GO』および『ハルヲフォン・レコード』もCDで発売された。『電撃的東京』は、その後、1992年(平成4年)11月21日、1995年(平成7年)11月22日、2004年(平成16年)4月7日と計4回CD再発売され、2004年には同時に『COME ON LET'S GO』および『ハルヲフォン・レコード』も2度目のCD再発売がなされた。

1994年(平成6年)6月22日、『ハルヲフォン・メモリアル』が初めてCDで発売された。

2006年(平成18年)6月25日、発掘されたライヴ音源を集めたCD『近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77』がインディーズのCARAWAY RECORDSから発売された。また、それに先立つ同年4月29日 - 30日には、近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド名義で再結成してライブ活動を行った。

2008年(平成20年)9月26日、2枚組のLPレコードで発売されてからその後長らく廃盤となっていた『リメンバー・グループ・サウン』が、『リメンバー・グループ・サウン』としてCDで発売された[7](収録内容はそのまま変わらず、タイトルが少しだけ変わった)。

※『リメンバー・グループ・サウンズ』が、お蔵入りになっていた未発表作品である、という情報は誤り。

ディスコグラフィ

シングル

発売日 規格品番 タイトル
1975年5月10日 BS-8005 A FUNKYダッコNo.1[注釈 2]
B MORE FUNKYダッコNo.1[注釈 2]
1976年6月5日 GK-8003 A シンデレラ
B レインコート
1976年12月5日 GK-8012 A 恋のT.P.O.
B プラスチック・ムーン
1977年8月21日 GK-8028 A ロキシーの夜[注釈 3]
B 闇にジャックナイフ
1978年7月21日 GK-8056[注釈 4] A きりきりまい
B 憎いあいつ
1979年 - A 恋のグンギン・ナイト[注釈 5]

アルバム

  • COME ON LET'S GO 1976年6月21日、LP発売 (キングレコード)
    • 1989年10月21日、2004年4月7日、CD発売 (キングレコード)
  • ハルヲフォン・レコード 1977年9月21日、LP発売 (キングレコード)
    • 1989年10月21日、2004年4月7日、CD発売 (キングレコード)
  • 電撃的東京 1978年6月21日、LP発売 (キングレコード)
    • 1989年3月21日、1992年11月21日、1995年11月22日、2004年4月7日、CD発売 (キングレコード)
  • Time, Place & Occasion 1980年7月27日、LP発売(キングレコード)
    • 「近田春夫」名義の作品。
  • ハルヲフォン・メモリアル 1980年9月5日、LP発売 (キングレコード)
    • 1994年6月22日、CD発売 (キングレコード)
  • 近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77 (レコードでの発売は無し。)
    • 未発表ライヴ音源集。
    • 2006年6月25日、CD発売 (CARAWAY RECORDS)
  • リメンバー・グループ・サウンド 1976年11月、LP発売 (キングレコード)
    • オレンジ・ペコや清水誠などの他アーティストが演奏・歌唱した曲も含むオムニバス盤であり、ハルヲフォン単独の作品ではない。
    • 2008年9月26日、CD発売 (キングレコード)

その他

脚注

注釈

  1. ^ この時期近田は、近田春夫&BEEFを結成しているが、それを発展解消させ、翌年にデビューを控えたジューシィ・フルーツのプロデュースに取り掛かっている。
  2. ^ a b デビューシングル、「ハルヲフォン」名義。
  3. ^ 近田春夫名義。
  4. ^ 事実上のラストシングル。
  5. ^ 発売予告のみで、実現しなかったシングル。

出典

  1. ^ a b c 恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の「ハルヲフォン誕生」(2008年12月14日付)の記述を参照。
  2. ^ CDコンピレーション・アルバム『ニューロックの夜明け 番外編9 キング・ニューロック・シングル集 ファンキー・ダッコNo.1』のライナーの記述を参照。
  3. ^ クールス」の項の記述を参照。
  4. ^ Rock'n Roll My Way ⑦ ハルヲフォン2 - 鼓曲萬来”. goo blog. 2024年1月26日閲覧。
  5. ^ オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」の項の記述を参照。
  6. ^ 近田春夫」の項の記述を参照。
  7. ^ #外部リンク内のリンク先「キング・アーカイブ・シリーズ18・リメンバー・グループ・サウンズ」の項の記述を参照。

関連事項

外部リンク