コンテンツにスキップ

「キャロン・ホーガン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
人物・来歴: 情報修正
人物・来歴: 情報追加
27行目: 27行目:
[[アフリカ系アメリカ人|アフロアメリカン]]系のシンガーで、東京・[[六本木]]の[[ディスコ]]「アフロレイキ」の看板歌手であった。[[リン・コリンズ]]が好きで、リンの『''[[:en:Think (About It)|Think (About It)]]''』([[1972年]])や『''[[:en:Rock Me Again and Again|Rock Me Again and Again]]''』([[1974年]])、[[アレサ・フランクリン]]の『''[[:en:Rock Steady (Aretha Franklin song)|Rock Steady]]''』([[1971年]])等がレパートリーであった<ref name="恒田">恒田義見の公式ブログ内「ROCK'N ROLL MY WAY」の記事「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/52137156.html Rock誕生]」 ([[2009年]][[1月9日]]付)の記述を参照。</ref>。
[[アフリカ系アメリカ人|アフロアメリカン]]系のシンガーで、東京・[[六本木]]の[[ディスコ]]「アフロレイキ」の看板歌手であった。[[リン・コリンズ]]が好きで、リンの『''[[:en:Think (About It)|Think (About It)]]''』([[1972年]])や『''[[:en:Rock Me Again and Again|Rock Me Again and Again]]''』([[1974年]])、[[アレサ・フランクリン]]の『''[[:en:Rock Steady (Aretha Franklin song)|Rock Steady]]''』([[1971年]])等がレパートリーであった<ref name="恒田">恒田義見の公式ブログ内「ROCK'N ROLL MY WAY」の記事「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/52137156.html Rock誕生]」 ([[2009年]][[1月9日]]付)の記述を参照。</ref>。


[[1975年]](昭和50年)、ハルヲフォンに参加、[[キングレコード]]からの企画盤シングル『[[FUNKYダッコNo.1]]』にリード・ボーカルとして参加<ref name="恒田" />。当時のハルヲフォンのメンバーは、[[近田春夫]]、恒田義見、[[高木英一]]、小林克巳、キャロン、長谷川康之の6人であった<ref>恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の記事「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/cat_50027836.html ハルヲフォン誕生]」([[2008年]][[12月14日]]付)の記述を参照。</ref>。同曲は、[[コンピレーション・アルバム]]『ディスコ歌謡コレクション*キング編』([[2001年]][[11月25日]]発売)に収められ、CDでもその歌声に触れることができる<ref>[[#外部リンク]]の「[[Yahoo! JAPAN|Yahoo! ミュージック]]」の該当項目の記述を参照。</ref>。この当時の姿が、[[2008年]](平成20年)の映画『ロック誕生』(監督[[村兼明洋]])に登場している<ref name="恒田" />。現在クラブ、レビュー・ショーなどでシンガーとして活動
[[1975年]](昭和50年)、ハルヲフォンに参加、[[キングレコード]]からの企画盤シングル『[[FUNKYダッコNo.1]]』にリード・ボーカルとして参加<ref name="恒田" />。当時のハルヲフォンのメンバーは、[[近田春夫]]、恒田義見、[[高木英一]]、小林克巳、キャロン、長谷川康之の6人であった<ref>恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の記事「[http://blog.livedoor.jp/yoshimi_tsuneda/archives/cat_50027836.html ハルヲフォン誕生]」([[2008年]][[12月14日]]付)の記述を参照。</ref>。同曲は、[[コンピレーション・アルバム]]『ディスコ歌謡コレクション*キング編』([[2001年]][[11月25日]]発売)に収められ、CDでもその歌声に触れることができる<ref>[[#外部リンク]]の「[[Yahoo! JAPAN|Yahoo! ミュージック]]」の該当項目の記述を参照。</ref>。この当時の姿が、[[2008年]](平成20年)の映画『ロック誕生』(監督[[村兼明洋]])に登場している<ref name="恒田" />。その後も、都内をメインにレビュー・ショーなどでシンガーとして活動。

2018年1月17日、逝去(享年60歳)<ref>{{Cite web |title=ハルヲフォンクルーとホーミーちゃんPart2 - 鼓曲萬来 |url=https://blog.goo.ne.jp/cohan2005/e/fdcce2e6a9c1b9bb4fa8f324236c4196 |website=goo blog |access-date=2024-01-16 |language=ja}}</ref>。


== ディスコグラフィ ==
== ディスコグラフィ ==

2024年1月16日 (火) 23:24時点における版

キャロン・ホーガン
出生名 Caron Hogan
別名 キャロン
ジャンル ロック
職業 歌手
活動期間 1975年
レーベル キングレコード
共同作業者 近田春夫ハルヲフォン
リン・コリンズ

キャロン・ホーガン(Caron Hogan)は、日本の女性歌手である。初期のハルヲフォン(のちの近田春夫&ハルヲフォン)に参加していたことで知られる。生年月日、生地不詳。

人物・来歴

アフロアメリカン系のシンガーで、東京・六本木ディスコ「アフロレイキ」の看板歌手であった。リン・コリンズが好きで、リンの『Think (About It)』(1972年)や『Rock Me Again and Again』(1974年)、アレサ・フランクリンの『Rock Steady』(1971年)等がレパートリーであった[1]

1975年(昭和50年)、ハルヲフォンに参加、キングレコードからの企画盤シングル『FUNKYダッコNo.1』にリード・ボーカルとして参加[1]。当時のハルヲフォンのメンバーは、近田春夫、恒田義見、高木英一、小林克巳、キャロン、長谷川康之の6人であった[2]。同曲は、コンピレーション・アルバム『ディスコ歌謡コレクション*キング編』(2001年11月25日発売)に収められ、CDでもその歌声に触れることができる[3]。この当時の姿が、2008年(平成20年)の映画『ロック誕生』(監督村兼明洋)に登場している[1]。その後も、都内をメインにレビュー・ショーなどでシンガーとして活動。

2018年1月17日、逝去(享年60歳)[4]

ディスコグラフィ

シングル

フィルモグラフィ

  • ロック誕生 (監督村兼明洋、2008年) - アーカイヴフッテージ出演

関連事項

脚注

出典

  1. ^ a b c 恒田義見の公式ブログ内「ROCK'N ROLL MY WAY」の記事「Rock誕生」 (2009年1月9日付)の記述を参照。
  2. ^ 恒田義見の公式ブログ「ROCK'N ROLL MY WAY」内の記事「ハルヲフォン誕生」(2008年12月14日付)の記述を参照。
  3. ^ #外部リンクの「Yahoo! ミュージック」の該当項目の記述を参照。
  4. ^ ハルヲフォンクルーとホーミーちゃんPart2 - 鼓曲萬来”. goo blog. 2024年1月16日閲覧。

外部リンク