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マニラ・タイムズ
Trusted since 1898
(1898年以来の信頼)
種別日刊新聞
判型ブロードシート判
所有者ダンテ・アング英語版
会長Blanca C. Mercado
編集主幹Leena Calso Chua
Lynette O. Luna, Executive Editor, Chin Wong[1]
ニュース編集者ダントン・レモト英語版
スポーツ編集者Emil Noguera
画像編集者Rene H. Dilan
設立1898年10月11日 (126年前) (1898-10-11)
(46075 issues)
政治的傾向中道右派
言語英語
本社所在地フィリピンの旗 フィリピンマニライントラムロス
発行数120,700部(2012年)[2]
ウェブサイトwww.manilatimes.net
フィリピンの旗 フィリピン

マニラ・タイムズ』(The Manila Times) は、現存するものとしては最古の歴史をもつフィリピン英字新聞ザ・マニラ・タイムス・パブリッシング・コーポレーション (The Manila Times Publishing Corp.)、旧称では、ラ・バンガルディア・パブリッシング・コーポレーション (La Vanguardia Publishing Corporation) が、日刊で発行しており、編集、経営の本社はマニライントラムロスのA・ソリアノ大通り409番地、シティオ・グランデ・ビルディング2/F (2/F Sitio Grande Building, 409 A. Soriano Avenue, Intramuros, Manila) に所在している。

この新聞が創刊されたのは、パリ条約によって米西戦争を終結し、フィリピン諸島主権スペインからアメリカ合衆国へ移譲されることになるというニュースが流れた直後の1898年10月11日であった[3]。この新聞は、現在、フィリピンにおいて4番目に発行部数の多い新聞であると自称しており、『マニラ・スタンダード (Manila Standard)』には優っているが、『フィリピン・デイリー・インクワイアラー (Philippine Daily Inquirer)』、『マニラ・ブレティン (Manila Bulletin)、『ザ・フィリピン・スター (The Philippine Star)』の後塵を拝している。

現在、発行人で社長、最高経営責任者、執行編集人を兼ねているのは、ダンテ・フランシス・"クリンク"・アング2世 (Dante Francis "Klink" Ang II) である。2017年5月1日には、名誉会長 (chairman emeritus) のダンテ・アング英語版が、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領から、国際広報担当の大統領特使に任じられた[4]

歴史

『マニラ・タイムズ』は、フィリピン在住のイギリス人トーマス・ゴーワン (Thomas Gowan) によって創刊された。この新聞は、米西戦争を戦うため、マニラに送り込まれてきていたアメリカ人におもな読者層としていた。当時、フィリピンのほとんどの新聞はスペイン語を使っており、残る少数の新聞は現地の諸語を使っていた。創刊直後から、スペインがフィリピン諸島への宗主権をアメリカ合衆国に譲渡するとした条約につながる、パリ会談に関するニュースがマニラに届いた[3]

1898年10月11日付の『マニラ・タイムズ』創刊号は、1枚の紙を折りたたんだ4頁建てで、縦12インチ、横8インチほどの大きさで、各面はコラム2段から成っていた。第1面は告知と広告で埋められていた。第2面は、社説のページであった。ここには社説とともに、より重要度が高い、その日のニュースが載っていた。第3面は、もっぱら米西戦争に関する欧米からの電信ニュースに使われていた[3]

1899年、経営支配人としてこの新聞の事業に加わっていたジョージ・セルナー (George Sellner) が、ゴーワンから『マニラ・タイムズ』を取得した[3]1902年には、アメリカ人実業家が『マニラ・タイムズ』を取得したが、1905年には再びセルナーの手に戻った[3] In 1907, Thomas C. Kinney acquired The Manila Times from Sellner.[3]1914年7月25日、『マニラ・タイムズ』は本社をエスコルタ通り英語版からコスモポリタン・ビルディング (Cosmopolitan Building) に移した[3]

マニラ市イントラムロスのザ・マニラ・タイムス・ビルディング。

1919年、後にフィリピン・コモンウェルス(自治領政府)時代にフィリピンの大統領を務めることになるマニュエル・ケソンが、『マニラ・タイムズ』を取得して1921年製糖業界の大物だったジョージ・フェアチャイルド (George Fairchild) に譲渡するまでこの新聞を所有した[3]1926年には、ジェイコブ・ローゼンタール (Jacob Rosenthal) が、『マニラ・タイムズ』をフェアチャイルドから取得した[3]1928年12月10日、入居していたコスモポリタン・ビルディングが火災で焼失し、『マニラ・タイムズ』の本社はイントラムロスに移転した[3]1930年3月15日、『マニラ・タイムズ』は初めて休刊となり、第二次世界大戦後の1945年に復刊するまで刊行されず、その間にチノ・ロセス英語版に売却された[3]1950年の時点で、『マニラ・タイムズ』は、フィリピン最大の新聞になっていた[5]

1972年9月23日、大統領フェルディナンド・マルコスは、大統領宣言第1081号英語版によって戒厳令英語版を敷いて、『マニラ・タイムズ』を含め、国内のメディア事業の閉鎖を命じ、1945年に復刊していた『マニラ・タイムズ』は2度目の休刊に入り、所有者であったチノ・ロセスは逮捕された[3]1986年2月5日に『マニラ・タイムズ』は復刊したが、これはマルコスを追い落とし、コラソン・アキノが大統領となったピープルパワー革命(エドゥサ革命)の数日前のことであった[3]。ロセスは、1988年9月30日に死去し、1989年には実業家ジョン・ゴコングウェイ英語版がこの新聞を取得した[3][6]

1999年、『マニラ・タイムズ』は、国営電力公社英語版 (NAPOCOR) とアルゼンチンの企業IMPSAスペイン語版の間で結ばれた取引についてジョセフ・エストラーダ大統領に関する記事を掲載し、大統領を「意図せざる黒幕 (unwitting godfather)」と表現し、論争に巻き込まれた[7][3]3月9日、エストラーダは、『マニラ・タイムズ』に対し、名誉毀損の訴えを起こし、この名誉毀損の件は4月に取り下げられたものの、同紙の編集者や記者たちの辞任を引き起こした[8][9][3][10]

1999年7月20日、『マニラ・タイムズ』はカトリーナ・レガルダ英語版とレギス・ロメロ (Reghis Romero) が取得した後、7月23日に3度目の休刊に入り、10月11日に復刊した[11][3][12]2001年5月14日、マーク・ヒメネス (Mark Jimenez) がこの新聞を取得し、8月8日に大統領グロリア・マカパガル・アロヨの広報担当者であったダンテ・アングに売却するまで、この新聞を所有していた[3]

『タイムズ』が選ぶ2007年「今年の人」

2007年12月30日、『マニラ・タイムズ』は、編集者全員によって、レイナート・プノ英語版を『タイムズ』が選ぶ2007年「今年の人」(Times Person of the Year) に選んだ。他に候補となったのは、在外フィリピン人労働者英語版 (OFW)、エディ・パンリリオ英語版パンパンガ州知事、フィリピン看護師協会 (Filipino Nurse)、社会福祉開発省英語版 (DSWD) のソーシャルワーカー、ピノイ・ファーマー (the Pinoy Farmer)、マニー・パッキャオジョーイ・デベネシア英語版であった[13][14]

おもなコラムニスト

脚注

  1. ^ “Times names executive editor”. The Manila Times. (June 2, 2024). https://www.manilatimes.net/2024/06/02/news/national/times-names-executive-editor/1949548 June 2, 2024閲覧。 
  2. ^ Communications”. Philippine Yearbook 2013. Manila, Philippines: Philippine Statistics Authority. November 17, 2022閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r The Manila Times: 106 Years in a Nation's Rich History”. The Manila Times (2001年). June 30, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。July 9, 2020閲覧。
  4. ^ “Times' chairman Dante Ang named special envoy”. The Manila Times. (May 10, 2017). http://www.manilatimes.net/times-chairman-dante-ang-named-special-envoy/326406/ 
  5. ^ “A glimpse of the past”. The Manila Times. (October 11, 2017). https://www.manilatimes.net/2017/10/11/supplements/119th-anniversary-reports/a-glimpse-of-the-past/355821/ July 9, 2020閲覧。 
  6. ^ “Joaquin Roces is Dead, Aquino Backer was 75”. The New York Times. Associated Press. (October 1, 1988). https://www.nytimes.com/1988/10/01/obituaries/joaquin-roces-is-dead-aquino-backer-was-75.html July 9, 2020閲覧。 
  7. ^ Jodesz Gavilan (July 18, 2017). “Is the Inquirer's impending sale a Manila Times redux?”. https://www.rappler.com/newsbreak/flashback/175945-manila-times-closure-joseph-estrada July 9, 2020閲覧。 
  8. ^ “Presidential Libel Suit vs. Manila Times”. (March 10, 1999). http://www.newsflash.org/1999/03/pe/pe000686.htm July 9, 2020閲覧。 
  9. ^ “Palace Libel Suits vs. Manila Times Dropped”. (April 9, 1999). http://www.newsflash.org/1999/04/hl/hl011265.htm July 9, 2020閲覧。 
  10. ^ Oliver Teves (April 8, 1999). “Manila Times Editors Quit”. Associated Press News. https://apnews.com/1c43d1670a0b75651b053a1f47570418 July 9, 2020閲覧。 
  11. ^ “Manila Times Re-Acquired by the Roces Family”. (July 20, 1999). http://www.newsflash.org/1999/07/hl/hl011460.htm July 9, 2020閲覧。 
  12. ^ James Hookway (July 21, 1999). “Sale of Manila Times Triggers Controversy”. The Wall Street Journal. https://www.wsj.com/articles/SB932491288732066347 July 9, 2020閲覧。 
  13. ^ manilatimes.net, CJ's official profile”. The Manila Times. December 30, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。December 30, 2007閲覧。
  14. ^ manilatimes.net, Chief Justice Puno: Times Person of the Year”. The Manila Times. December 30, 2007時点のオリジナルよりアーカイブ。December 30, 2007閲覧。

関連項目

外部リンク