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**6月8日 - 創立100周年記念と新校舎竣工の両式典挙行。
**6月8日 - 創立100周年記念と新校舎竣工の両式典挙行。
*[[2010年]]([[平成]]22年)[[3月22日]] - 屋内運動場を増改築<ref>{{PDFlink|[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/keikaku/files/H30_edu_annual8_2.pdf 弘前市教育年表]}} - 弘前市教育委員会</ref>。
*[[2010年]]([[平成]]22年)[[3月22日]] - 屋内運動場を増改築<ref>{{PDFlink|[http://www.city.hirosaki.aomori.jp/jouhou/keikaku/files/H30_edu_annual8_2.pdf 弘前市教育年表]}} - 弘前市教育委員会</ref>。
*[[2023年]]([[令和]]5年)[[10月21日]] - 創立150周年記念式典挙行<ref>[https://mutsushimpo.com/news/r1ulmmx2/ 弘前・和徳小150周年] - 陸奥新報WEB版・2023年10月22日配信</ref>。


==教育目標==
==教育目標==

2024年6月8日 (土) 01:00時点における版

弘前市立和徳小学校

弘前市立和徳小学校

地図
地図北緯40度36分14.38秒 東経140度28分52.42秒 / 北緯40.6039944度 東経140.4812278度 / 40.6039944; 140.4812278座標: 北緯40度36分14.38秒 東経140度28分52.42秒 / 北緯40.6039944度 東経140.4812278度 / 40.6039944; 140.4812278
過去の名称 弘前二番小学
和徳小学
和徳小学校
中津軽郡和徳尋常小学校
弘前市和徳尋常小学校
弘前市和徳国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 弘前市
併合学校 進修尋常小学校
設立年月日 1874年1月8日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B102210000561 ウィキデータを編集
所在地 036-8001
青森県弘前市大字代官町107-3
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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弘前市立和徳小学校(ひろさきしりつ わとくしょうがっこう)は、青森県弘前市大字代官町にある公立小学校

沿革

  • 1874年明治7年)
    • 1月8日 - 和徳町旧倉稟を校舎にして弘前二番小学として創立。
    • 2月18日 - 和徳小学と改称。
  • 1878年(明治11年)12月20日 - 一棟増築落成。
  • 1882年(明治15年)1月 - 和徳小学校と改称。
  • 1885年(明治18年)7月 - 学聯区を廃止し、本校は中津軽郡第三学区となる。
  • 1886年(明治19年)4月 - 小学校令公布により、尋常科4年義務教育となる。同時期、中津軽郡和徳尋常小学校と改称。
  • 1888年(明治21年)
  • 1889年(明治22年)
    • 1月20日 - 新校舎落成。
    • 6月21日 - 弘前市制実施により、弘前市和徳尋常小学校と改称。
  • 1898年(明治31年)
    • 7月14日 - 仮校舎を控所に移し、本校舎取壊し。
    • 10月16日 - 和徳村大字和徳字俵元に新校舎落成移転。
  • 1901年(明治34年)9月7日 - 生徒昇降口及びトイレ増築落成。
  • 1902年(明治35年)5月28日 - はじめての修学旅行として、浅虫へ行く。
  • 1907年(明治40年)3月11日 - 校舎内に図書室設置。
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令改正により、尋常6年制となる。
  • 1910年(明治43年)8月31日 - 校舎の一部改築。
  • 1911年(明治44年)1月21日 - 通学区域改正により、瓦町一帯が、第一大成小学校の学区に移管。
  • 1922年大正11年)11月 - ストーブの使用開始。これまでは、教室に火鉢2個が置かれただけだった。
  • 1923年(大正12年)
  • 1924年(大正13年)6月8日 - 創立50周年記念式典挙行。
  • 1926年(大正15年)7月28日 - 青年訓練所併設。
  • 1927年昭和2年)
  • 1935年(昭和10年)
    • 4月1日 - 青年訓練所を廃止し、和徳青年学校併設。
    • 11月27日 - 校舎増築落成。
  • 1936年(昭和11年)1月15日 - 中津軽郡和徳村の一部(本校校地も含む)が弘前市に編入。
  • 1938年(昭和13年)12月24日 - 木炭節約のため、夏休みを短縮し、冬休みを延長(10日間)。
  • 1939年(昭和14年)
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、弘前市和徳国民学校に改称。
  • 1942年(昭和17年)5月30日 - 増築校舎落成。
  • 1943年(昭和18年)10月5日 - 創立70周年記念式典挙行。
  • 1944年(昭和19年)10月3日 - 減量のため、給食が中止される。
  • 1947年(昭和22年)
    • 3月1日 - 学校給食はじまる(事実上の再開)。
    • 4月1日 - 学校教育法(旧法)施行により、弘前市立和徳小学校と改称。
  • 1948年(昭和23年)5月4日 - 養護学級開設。
  • 1949年(昭和24年)
    • 5月2日 - 学校週5日制実施(約2年で廃止)。
    • 9月1日 - 図書室開設。
  • 1954年(昭和29年)
    • 6月8日 - 創立80周年記念式典挙行。協賛会より、グランドピアノが寄贈される。
    • 9月26日 - 台風15号(洞爺丸台風)により、校舎が大きな被害を受ける。
  • 1955年(昭和30年)8月6日 - 校庭に円形プール設置。
  • 1956年(昭和31年)1月8日 - 音楽新設、使丁室移転。
  • 1959年(昭和34年)9月18日 - 体操器具室を音楽室に改造し、器具室増築工事完了。
  • 1964年(昭和39年)6月8日 - 創立90周年記念式典挙行。記念行事として、図書館整備・鼓笛隊楽器整備及び沿革出版。
  • 1966年(昭和41年)12月7日 - 中央廊下洗い場改造、理科室流し場増設。
  • 1967年(昭和42年)4月30日 - 校門拡張及び学校境界にブロック塀設置。
  • 1968年(昭和43年)
  • 1969年(昭和44年)
    • 5月1日 - 新校舎第一期(鉄筋コンリート3階建12教室及び廊下)完成。
    • 6月28日 - 新校舎第二期工事開始。
    • 7月23日 - 第5学年と6学年児童を新校舎に移転させ、授業開始。
    • 12月30日 - 第二期工事(5教室・音楽室・図工室・トイレ)完成。
  • 1970年(昭和45年)
    • 7月26日 - 第三期工事開始。
    • 12月26日 - 第三期工事(4教室・理科室・トイレ)完成。
  • 1971年(昭和46年)
  • 1973年(昭和48年)
    • 1月30日 - 第五期工事(北側校舎)完成。
    • 7月16日 - 水泳プール修払式並びに竣工式とプール開きを行った。PTAから、濾過装置と更衣室が寄贈された。
  • 1974年(昭和49年)
    • 4月19日 - 新校舎管理棟を移転する。
    • 4月23日 - 特別教室(理科室・図書室・図工室・家庭科室)を移転。
    • 6月4日 - 創立100周年祝賀パレードを行った。
    • 6月8日 - 創立100周年記念と新校舎竣工の両式典挙行。
  • 2010年平成22年)3月22日 - 屋内運動場を増改築[1]
  • 2023年令和5年)10月21日 - 創立150周年記念式典挙行[2]

教育目標

  • 自ら学ぶ子
  • 心ゆたかな子
  • たくましい子

学区

和徳町、代官町の一部、植田町緑町萱町徒町川端町徳田町南柳町北柳町南横町北横町茶畑町野田1・2丁目、宮川全域、堅田1・3~5丁目、駅前1・2丁目、駅前3丁目の一部、東和徳町松ケ枝1丁目の一部、松ケ枝2・4・5丁目、俵元1・2丁目、和泉1丁目の一部、和泉2丁目の一部、高崎2丁目の一部。

交通

参考文献

  • 『和徳小学校沿革史』(和徳小学校・1975年6月8日発行)615頁~639頁「和徳小学校 沿革」
  • 弘前市教育委員会ホームページ
  • 角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)[要ページ番号]

脚注

  1. ^ 弘前市教育年表 (PDF) - 弘前市教育委員会
  2. ^ 弘前・和徳小150周年 - 陸奥新報WEB版・2023年10月22日配信
  3. ^ 逆方向の五所川原駅前発弘前バスターミナル行は、バスターミナルまで、約5分ほど。
  4. ^ 浪岡線・豊蒔黒石線バスは、弘前バスターミナル行のみ停車。

関連項目

外部リンク