麝香間祗候
麝香間祗候(じゃこうのましこう)は、明治維新の功労者である華族または親任官の地位にあった官吏を優遇するため、明治時代の初めに置かれた資格。職制・俸給等はない名誉職。宮中席次等では勅任官に準じた待遇を受けた。下位に錦鶏間祗候がある。
概要
編集明治2年5月15日(1869年6月24日)、天皇の相談役として国事諮詢に当たらせるため、前議定の蜂須賀茂韶ら6名の華族に、麝香之間への隔日出仕を命じた。「麝香之間」は、京都御所内の部屋の名称である。当初、この出仕を命じられた華族を「麝香間祗候華族」と称し、後には「麝香間祗候」という資格と解された。1874年(明治7年)6月、『華族会館』が発足した際はこの任に当たる華族を中心として(現霞会館)創設。1879年(明治12年)12月、内務省と宮内省が協議して、麝香間祗候は勅任官の待遇を以て官吏に準ずることとされた[1]。1908年(明治41年)6月8日には、定員を15名と定めた。
宮中席次では第2階に属する第21の順位で、第19の高等官一等(勅任官)、第20の貴族院副議長・衆議院副議長の下、第22の侯爵、第23の正二位の上に位置付けられた。
主な任官者
編集- 浅野長勲 : 従一位勲一等侯爵・旧広島藩主・貴族院議員
- 池田章政 : 従一位勲一等侯爵・旧岡山藩主
- 岩下方平 : 子爵・勲一等瑞宝章
- 大原重徳 : 明治3年閏10月17日 -。贈正二位・刑法官知事・議定・上局議長・集議院長官
- 九条道孝 : 従一位大勲位公爵。貴族院議員
- 黒田長成 : 従一位勲一等侯爵・貴族院副議長・枢密顧問官
- 久我通久 : 従一位勲一等侯爵・東京府知事・元老院議官・宮中顧問官
- 近衛文麿 : 内閣総理大臣・貴族院議長・枢密院議長
- 嵯峨実愛 : 正二位勲一等・教部卿
- 三条公美 : 公爵
- 島津久光 : 従一位大勲位公爵・左大臣
- 島津忠重 : 正二位勲一等公爵・海軍少将・貴族院議員
- 島津忠寛 : 伯爵・旧佐土原藩主
- 鷹司輔煕 : 関白・摂関家
- 徳川昭武 : 陸軍少尉従三位勲一等・旧水戸藩主
- 徳川家達 : 従一位大勲位公爵・貴族院議長
- 徳川家正 : 正二位勲一等公爵・駐カナダ大使・駐トルコ大使・貴族院議長
- 徳川圀順 : 従二位勲二等公爵・貴族院議長
- 徳川達孝 : 正二位勲一等伯爵・貴族院議員・侍従長
- 徳川慶喜 : 従一位勲一等公爵・征夷大将軍
- 徳大寺実則 : 従一位大勲位・内大臣・宮内卿・侍従長・華族局長官
- 戸田氏共 : 従一位勲一等伯爵・オーストリア=ハンガリー公使
- 中御門経之 : 従一位勲一等侯爵・留守長官
- 中山忠能 : 従一位大勲位侯爵・神祇伯
- 二条斉敬 : 関白・摂関家
- 蜂須賀茂韶 : 明治2年-。議定・正二位勲一等侯爵・貴族院議長・駐フランス国特命全権公使・東京府知事兼東京市長・旧徳島藩主
- 蜂須賀正韶 : 正二位勲二等侯爵・貴族院副議長
- 松平慶永 : 従一位勲一等・大蔵卿
- 毛利元昭 : 正二位勲二等公爵・貴族院議員
- 柳原義光 : 正三位勲三等伯爵・貴族院議員
- 山内容堂 : 明治2年7月9日 -。正二位、贈従一位・旧土佐藩主
- 山内豊景 : 正三位勲二等侯爵・貴族院議員
- 由利公正 : 従二位勲一等子爵・東京府知事・元老院議官・貴族院議員
脚注
編集- ^ 「麝香間祗候華族ハ勅任官ニ準ス」(明治12年12月23日太政官指令)