金宗直
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金 宗直(きん そうちょく[2]、キム・ジョンジク、1431年6月 - 1492年8月19日)は、李氏朝鮮時代前期の思想家。儒学者、政治家、教育者、詩人である。慶尚道咸陽郡守職を務めた。
金 宗直 | |
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김종직 | |
個人情報 | |
生誕 | 1431年6月 李氏朝鮮 慶尚道密陽都護府 (現 韓国慶尚南道密陽市)[1] |
死没 | 1492年8月19日(享年62歳) 李氏朝鮮 慶尚道密陽都護府 |
国籍 | 李氏朝鮮 |
生涯
編集字は季溫・孝盥、号は佔畢齋、諡号は文忠、本貫は善山である。世祖の在位中に仲間たちと共に官職に進出し、世祖~成宗年間に同僚、後輩の士林派を積極的に抜擢し、士林派の政界進出基盤を固めた。
士林派の師祖の一人。世祖の即位を批判して建てた「弔義帝文」が、世祖の逆鱗に触れた。高麗末期の学者吉再の流れを組み嶺南学派の宗祖となった。士林派出身で初めて朝鮮政界に進出したのは權遇だったが、世祖以後朝鮮政界に進出したのが金宗直とその仲間、弟子たちだったので、金宗直を士林派の筆頭とみなす。
脚注
編集- ^ “김종직(金宗直)”. 韓国民族文化大百科事典. 2023年1月12日閲覧。
- ^ 第2版, ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,世界大百科事典. “金宗直とは”. コトバンク. 2022年9月22日閲覧。