荒潮 (駆逐艦)
荒潮(あらしお / あらしほ)は、日本海軍の朝潮型駆逐艦4番艦である[2][3]。1937年(昭和12年)12月に竣工した。1943年(昭和18年)3月、ビスマルク海海戦で大破放棄され、米軍機の攻撃で沈没した。
荒潮 | |
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基本情報 | |
建造所 | 神戸川崎造船所 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 駆逐艦 |
級名 | 朝潮型駆逐艦 |
艦歴 | |
発注 | ②計画 [1] |
起工 | 1935年10月1日 |
進水 | 1937年5月26日 |
竣工 | 1937年12月20日 |
最期 | 1943年3月4日沈没 |
除籍 | 1943年4月1日 |
要目 | |
基準排水量 | 約 2,000 t |
公試排水量 | 2,400 t |
全長 | 118.00 m |
最大幅 | 10.386 m |
吃水 | 3.71 m (平均) |
主缶 | ロ号艦本式重油専焼缶3基 |
主機 | 艦本式オール・ギアードタービン2基2軸 |
出力 | 53,225hp(公試) |
最大速力 | 35.17kt(公試) |
燃料 | 重油 580 t |
航続距離 | 18ktで5,190浬 |
乗員 | 230名 |
兵装 |
新造時 50口径12.7cm連装砲 3基6門 25mm機銃 II×2 (または13mm機銃 II×2) 61cm4連装魚雷発射管 2基8門 (九〇式魚雷16本) 九一式爆雷×36 |
艦歴
編集太平洋戦争開戦まで
編集1935年(昭和10年)9月28日、建造予定の朝潮型駆逐艦が荒潮と命名され、艦艇類別等級表に登録された[4][1][5]。神戸川崎造船所で10月1日に起工[6][7]、1937年(昭和12年)5月26日に進水[6][8]。12月20日に竣工、舞鶴へ回航した[6][9]。
1938年(昭和13年)1月8日、第25駆逐隊(朝潮、大潮、満潮)に編入され、朝潮型駆逐艦1-4番艦がそろった[10]。3月末に予備艦となり佐世保工廠で蒸気タービン機関の改造工事を実施した(臨機調事件)。1939年(昭和14年)11月1日附で横須賀鎮守府へ転籍し、第25駆逐隊は第8駆逐隊と改称された[11]。同時に第二艦隊・第二水雷戦隊に編入され、以後中国方面で活動した。1941年(昭和16年)9月1日、阿部俊雄大佐が駆逐隊司令となった[12]。20日、久保木英雄少佐が艦長に就任した[13]。
太平洋戦争緒戦
編集太平洋戦争開戦時、第8駆逐隊は南方部隊本隊(近藤信竹中将)に所属し、マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援。1942年(昭和17年)1月よりアンボン、マカッサル攻略作戦に参加した。
第8駆逐隊(朝潮、大潮、荒潮、満潮)と輸送船2隻(相模丸、笹子丸)は2月19日未明、バリ島に兵員等を揚陸させた。夕刻までに揚陸は完了したが空襲で相模丸が損傷、荒潮と満潮が護衛して先にマカッサルに向かった[14]。同日深夜、朝潮と大潮が泊地に突入してきた米蘭の連合軍艦隊と交戦、大潮が損傷したが蘭駆逐艦ピート・ハインを撃沈した。急報を受けて荒潮と満潮が反転し、20日午前3時過ぎにバダン海峡に突入した。蘭軽巡トロンプと駆逐艦4隻と砲撃戦になり、満潮が大破したがトロンプを損傷させた。同日朝、軽巡長良と第21駆逐隊(若葉、子日、初霜)と合流し、マカッサルに帰投した[15]。後日(12月8日)、山本五十六連合艦隊司令長官はバリ島沖海戦における第8駆逐隊の活躍に感状を与えた[16]。
損傷した大潮と満潮が前線を離れ[17]、第8駆逐隊は荒潮と朝潮の2隻でジャワ島攻略作戦に参加した。3月9日、「荒潮」はバリ島附近でオランダ掃海艇「ヤン・ファン・アムステル」を撃沈した[18]。14日にマカッサルに帰投し、第二水雷戦隊本隊と合流した[19]。15日、修理のため軽巡神通、朝潮と共に内地に向けて出港した[20][21]。19日に駆逐艦黒潮と合流し、朝潮と荒潮の2隻はパラオで補給した[22]。24日に横須賀に到着し[23][24]、25日から4月15日まで修理を行った[25]。
4月10日、第8駆逐隊は第二艦隊・第四水雷戦隊(西村祥治少将)に編入した[26][27]。18日、米空母ホーネットから発進した B-25が日本本土を空襲した(ドーリットル空襲)。荒潮と朝潮は第二艦隊(近藤信竹中将)の指揮下で米機動部隊を追撃したが、会敵できなかった[28][29]。帰投中、荒潮は1番主砲の防水帯が故障し浸水の恐れがあるため速力を落とし、僚艦から遅れて朝潮と共に横須賀に戻った[30]。
5月15日、大潮と満潮が第8駆逐隊を外れた[31]。20日、第8駆逐隊(朝潮、荒潮)はミッドウェー作戦の攻略部隊支援隊(栗田健男中将)に編入した(編制はミッドウェー海戦参照)。6月5日、第8駆逐隊は第七戦隊の最上型重巡洋艦4隻(熊野、鈴谷、三隈、最上)と共にミッドウェー島の砲撃に向かったが、三隈と最上が洋上で衝突し、朝潮と荒潮は両艦を護衛して後退した。6-7日に米機動部隊とミッドウェー島基地航空隊の波状攻撃を受け、三隈は沈没、最上は大破した。荒潮は三隈の乗組救助中に被弾し、操舵が人力となった[32]。このため8日朝、最上と朝潮から10海里ほど離れて後から第二艦隊に合流した[33][34]。「荒潮」はトラックでの応急修理ののち、7月23日に佐世保に到着[35]。朝潮と荒潮は佐世保海軍工廠で修理に入り、7月14日に特別役務駆逐艦[36][37]、8月1日に警備駆逐艦になった[38]。
ソロモン海の戦い
編集10月15日、荒潮の予備魚雷8本を陸揚し、後部甲板に大発動艇(十三米特型運貨船)搭載装置を新設する工事が指示された[39][40]。20日、第8駆逐隊に満潮が復帰し[41]、駆逐隊司令に山代勝守大佐が就任した[42]。第8駆逐隊は第八艦隊(三川軍一中将)に編入された[43]。 修理を終えた荒潮は11月21日にソロモン海域に進出、ブナ輸送作戦に従事した(ブナ・ゴナの戦い)。12月1日、駆逐艦4隻(朝潮、荒潮、磯波、電)[44]でラバウルを出撃したが、空襲等で輸送できた兵力は半数程度だった[45][46][47]。8日4時30分、駆逐艦6隻(風雲、夕雲、朝潮、荒潮、磯波、電)でラバウルからブナに向かったが、8時15分に空襲で朝潮が損傷し、引き返した[48][49]。11日夜、駆逐艦5隻(風雲、夕雲、荒潮、磯波、電)でラバウルを出撃。アドミラルティ諸島ロレンガウで熊野、鈴谷、望月から燃料補給を受け、迂回航路でブナへ向かった[50][51]。14日に揚陸に成功したが、荒潮は空襲で7名が死傷した[52]。同日夜、ラバウルへ戻った[51]。
日本軍はニューギニア島東部のマダンとウェワク攻略作戦(ム号作戦)を発動し、荒潮は駆逐艦 涼風、電、磯波、愛国丸、護国丸 と共にマダン攻略部隊に編入された[53][54]。各作戦部隊は16日にトラック泊地やラバウルを出撃[55][56]し、ウェワクの攻略は成功したが、軽巡天龍を加えたマダン攻略隊は18日に空襲で護国丸が被弾[57]、揚陸中に米潜水艦アルバコアの雷撃で天龍が沈没した[53][58]。荒潮は天龍の救援を命じられたが、輸送作業が終わった涼風が向かった[59]。マダン揚陸は完了し、攻略部隊は20日午前中にラバウルへ戻った[53]。
12月下旬、ガダルカナル島への輸送路を防衛するため、ニュージョージア島のムンダ飛行場を中心に、バングヌ島、ラッセル諸島、ガ島カミンボに防空基地を設置することにした。バングヌ島ウイックハム基地の建設から始め、駆逐艦6隻(谷風、浦風、磯波、荒潮、夕暮、電)が陸兵と物資を積んで26日夕、ラバウルを出撃した[60][61]。ショートランド泊地を経由して27日夜に揚陸に成功、28日朝にショートランド泊地へ戻った[60]。29日、大潮が第8駆逐隊に復帰した[62]。
1943年(昭和18年)1月2日、小柳冨次第二水雷戦隊司令官直率の駆逐艦10隻(長波、涼風、巻波、江風、荒潮、親潮、黒潮、陽炎、磯波、電)[63]はガダルカナル島輸送作戦を実施し、空襲で損傷した涼風と護衛の電が避退したが、輸送は成功した[64][65]。4-7日には駆逐艦4隻(長波、巻波、江風、荒潮)でラバウルからショートランド泊地にドラム缶を反復輸送した[66]。1月10-11日、小柳が指揮する駆逐艦8隻(黒潮、巻波、江風、嵐、大潮、荒潮、初風、時津風)はガ島への第六次鼠輸送作戦を実施した。作戦終了後の11日、荒潮は江風、巻波、大潮と共にニューギニア方面護衛部隊に編入され、ショートランド泊地からラバウルへ向かった[67]。
2月上旬、ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)が実行され、第8駆逐隊(大潮、荒潮)は3回とも従事した。2月14日、第8駆逐隊司令は佐藤康夫大佐に交代した[68]。20日、大潮が輸送船団護衛中にマヌス島沖で米潜アルバコアの雷撃を受け、航行不能になった[69][70]。荒潮はトラック泊地まで大潮の曳航を試みたが[71]、21日朝に大潮の船体が中央で断裂し沈没した[72][73][74]。荒潮は乗員を救助してラバウルに帰投した[75]。
沈没
編集第三水雷戦隊司令官木村昌福少将指揮下でラエ輸送作戦(第八十一号作戦)が行われ、駆逐艦8隻(白雪、浦波、敷波、朝潮、荒潮、朝雲、雪風、時津風)で輸送船8隻を護衛し、2月28日深夜にラバウルを出撃した[76][77]。3月2日の空襲で、輸送船旭盛丸が沈没した。朝雲、雪風が乗員を救助し、先にラエへ輸送してから護衛に戻ったが、3日にクレチン岬南東沖で再び米豪連合軍機の空襲を受けた[78]。輸送船団の左で時津風-荒潮-雪風の順で航行していたが[79]、荒潮は8時10分頃に反跳爆撃で艦橋と二番砲に被弾、舵が故障して給炭艦野島と衝突し、艦首も大破した[80][81]。直撃弾で荒潮の艦橋は吹き飛んでいたという[82]。荒潮は陸兵と負傷者を朝潮に移乗させて微速で北方へ向かった[83]。しかし再び空襲を受けて傾斜30度となり、復原航行は絶望的になった[84]。同日夜、雪風が荒潮を発見して約170名を救助し、荒潮は放棄された[84][85][86]。3月4日、B-17重爆撃機が漂流する荒潮に500ポンド爆弾を投下、第一煙突付近に命中して沈没した[80][87]。久保木艦長以下72名が戦死した[69]。
この戦闘で荒潮、白雪、時津風、朝潮の駆逐艦4隻と、野島を含む輸送船全8隻が沈没し、佐藤第8駆逐隊司令も戦死した。荒潮は4月1日、駆逐艦籍から除籍された[88]。艦名は海上自衛隊の潜水艦あらしおに継承された。
歴代艦長
編集- 艤装員長
- 駆逐艦長
参考文献
編集- 生出寿『連合艦隊・名指揮官の生涯 戦場の将器 木村昌福』光人社、1997年12月。ISBN 4-7698-0835-6。
- 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8。
- 当時「時津風」主計科員・海軍上等主計兵曹芝田博之『八方破れ「時津風」が演じたガダルの奇蹟 ガ島撤収作戦に一役かった時津風に訪れたダンピール海峡の悲劇』
- 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月〜昭和十八年二月十一日』中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403396-6。
- 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二『高松宮日記 第六巻 昭和十八年二月十二日〜九月』中央公論社、1997年3月。ISBN 4-12-403396-6。
- 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0。
- 戦史研究家海老原康之『夜戦の白眉 "第八駆逐隊" 朝潮型四隻の奮戦 朝潮、大潮、満潮、荒潮。第二水雷戦隊所属の精鋭たちのバリ島沖海戦』
- 当時「時津風」水雷科指揮所伝令・海軍一等水兵桝谷克彦『ラエ輸送の悲劇 炎と波とわが時津風と 反跳爆撃に斃れた第十六駆逐隊=時津風と雪風のビスマルク海海戦』
- イアン・トール著、村上和久訳「第十二章 決戦のミッドウェイ」『太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 下』文藝春秋、2013年6月。ISBN 978-4-16-376430-6。
- 豊田穣『雪風ハ沈マズ 強運駆逐艦 栄光の生涯』光人社NF文庫、2004年(原著1983年)。ISBN 978-4-7698-2027-7。
- 中島親孝『聯合艦隊作戦室から見た太平洋戦争 参謀が描く聯合艦隊興亡記』光人社NF文庫、1997年10月(原著1988年)。ISBN 4-7698-2175-1。
- 橋本敏男、田辺弥八ほか『証言・ミッドウェー海戦 私は炎の海で戦い生還した!』光人社、1992年。ISBN 4-7698-0606-X。
- 橋本敏男、田辺弥八ほか『証言・ミッドウェー海戦 私は炎の海で戦い生還した!』光人社NF文庫、1999年。ISBN 4-7698-2249-9。
- 血染めの重巡三隈にあがった絶叫かなし 元重巡三隈の通信科員・三等水兵和田正雄
- 不死身の最上ミッドウェー沖の雄叫び 元重巡最上の航海長・海軍中佐山内正規
- 土井全二郎『撃沈された船員たちの記録 戦争の底辺で働いた輸送船の戦い』光人社〈光人社NF文庫〉、2008年5月。ISBN 978-4-7698-2569-2。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書26 蘭印・ベンガル湾方面 海軍進攻作戦』朝雲新聞社、1969年5月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書29 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社、1969年8月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書62 中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和十七年六月以降』朝雲新聞社、1973年2月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書96 南東方面海軍作戦(3) ガ島撤収後』朝雲新聞社、1976年8月。
- 増田禮二『怨み深し血の海、ビスマルクの海』
- 丸編集部編『重巡洋艦戦記 私は決定的瞬間をこの目で見た!』光人社、2010年11月。ISBN 978-4-7698-1485-6。
- 元最上航海長・海軍大佐山内正規『七戦隊三隈と最上の衝突 ミッドウェー海戦もうひとつの悲劇』
- 「丸」編集部編「曾爾章 重巡「最上」出撃せよ ミッドウエーの惨劇を艦長が吐露する痛恨の手記」『巡洋艦戦記 重巡「最上」出撃せよ』光人社、2011年8月(原著1990年)。ISBN 978-4-7698-2700-9。
- ウォルター・ロード、実松譲訳『逆転 信じられぬ勝利』フジ出版社、1969年7月。
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- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030100200。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030100300。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030100400。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030100500。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030100600。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年5月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(6)』。Ref.C08030100700。
- 『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030116000。
- 『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030116100。
- 『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030116200。
- 『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030116300。
- 『昭和17年12月1日〜昭和18年4月30日 第4水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030116400。
- 『昭和17年7月6日〜昭和17年12月3日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その1(1)』。Ref.C08030752300。
- 『昭和17年7月6日〜昭和17年12月3日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その1(2)』。Ref.C08030752400。
- 『昭和17年7月6日〜昭和17年12月3日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その1(3)』。Ref.C08030752500。
- 『昭和17年7月6日〜昭和17年12月3日 駆逐艦電戦闘詳報原稿 その1(4)』。Ref.C08030752600。
- 『昭和18年1月1日〜昭和18年1月31日 第7戦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030769100。
脚注
編集- ^ a b #達昭和10年9月p.21『達第百十六號 艦艇製造費ヲ以テ昭和十年度ニ於テ建造ニ着手ノ駆逐艦二隻ニ左ノ通命名ス|昭和十年九月二十八日 海軍大臣大角岑生|株式會社藤永田造船所ニ於テ建造 駆逐艦 満潮(ミチシホ)|株式會社川崎造船所ニ於テ建造 駆逐艦 荒潮(アラシホ)』
- ^ #昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿巻2.3p.8『驅逐艦|一等|朝潮、大潮、満潮、荒潮、朝雲、山雲、夏雲、峯雲、霞、霰』
- ^ 「第171号の12 10.10.14荒潮」 アジア歴史資料センター Ref.C05110626200 『艦名 荒潮(アラシホ)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.210『◎驅逐艦満潮及荒潮命名ノ件 昭和十年九月二十八日(達一一六)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.69『昭和十年九月二十八日(内令三六四) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 巡洋艦二等利根型ノ項中「利根」ノ下ニ「、筑摩」ヲ加フ/驅逐艦一等朝潮型ノ項中「大潮」ノ下ニ「、満潮、荒潮」ヲ加フ』
- ^ a b c #艦船要目公表範囲(昭和16年6月30日)p.20『荒潮|(艦性能略)|神戸川崎造船所|10-10-1|12-5-26|12-12-20|(艦兵装略)』
- ^ 「昭和10年10月18日荒潮竣工通知の件」 アジア歴史資料センター Ref.C11080574800
- ^ 「昭和12年5月28日 海軍公報第3059号 p.47」 アジア歴史資料センター Ref.C12070363300 『○進水 驅逐艦荒潮本月二十六日株式會社川崎造船所、驅逐艦夏雲ハ同日佐世保海軍工廠ニ於テ孰モ進水セリ』
- ^ 「昭和12年12月22日(火)海軍公報(部内限)第2796号 pp.3-4」 アジア歴史資料センター Ref.C12070369200 『○艦船所在○十二月二十二日午前十時調【神戸】伊七二▲、伊七三▲、呂六四▲、(朝雲)▲、(伊八)▲、(伊七五)▲|【航海中】荒潮(二十一日神戸發―舞鶴へ)』
- ^ #海軍制度沿革(巻4、1939)pp.72-73『昭和一二.一二.一|佐世保鎮守府|第二十五驅逐隊|朝潮、大潮、満潮|荒潮(一三.一.八 一三)』
- ^ 「昭和14年11月1日(水)海軍公報(部内限)第3349号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070381800 『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』
- ^ 「昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900
- ^ a b c 「昭和16年9月20日(発令9月20日付)海軍辞令公報(部内限)第716号 pp.46-47」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100
- ^ #戦史叢書26海軍進攻作戦325-328頁
- ^ #S1703二水戦日誌(2)p.20『四.参考(イ)麾下艦船部隊ノ行動』
- ^ 「昭和18年1月27日(水)海軍公報(部内限定)第4301号 pp.14-15」 アジア歴史資料センター Ref.C12070429400 『○感状 第八驅逐隊 昭和十七年二月十九日「バリ」島急襲攻略作戰ニ際シ同日夜半「ロンボク」海峡ニ於テ我ガ上陸ヲ阻止セントシテ來襲セル敵巡洋艦二隻及驅逐艦五隻以上ト遭遇スルヤ寡勢克ク勇戰忽チ敵驅逐艦四隻ヲ撃沈シ同巡洋艦二隻及驅逐艦一隻ヲ撃破遁走セシメタルノミナラズ爾后此ノ戰闘ニ於テ損傷ヲ受ケタル僚艦ヲ曳航翌晝間ニ於ケル敵機ノ猛爆ヲ冒シテ之ヲ味方泊地ニ移シ遂ニ救出ノ目的ヲ達シタルハ其ノ武勲顕著ナリト認ム 仍テ竝ニ感状ヲ授與ス 昭和十七年十二月八日 聯合艦隊司令長官 山本五十六』
- ^ #S1703二水戦日誌(1)p.4『(ハ)大潮満潮ハ「マカッサル」ニ於テ應急修理』
- ^ 戦史叢書第26巻 蘭印・ベンガル湾方面海軍進攻作戦、524ページ、日本水雷戦史、116ページ
- ^ #S1703二水戦日誌(1)p.3『三月十四日荒潮「マカツサル」歸着合同ス』
- ^ #S1703二水戦日誌(1)pp.3-4『三月十五日 2sd(神通朝潮荒潮ノミ)本籍軍港ニ向ケ「マカッサル」發(略)三月二十三日2sd(16dg 18dg 8dg缺呉着 三月二十四日朝潮荒潮横須賀着}整備作業』
- ^ #S1703二水戦日誌(2)p.44『十五(天候略)(三)〇九〇〇神通朝潮荒潮在籍軍港ニ向ケ「マカッサル」発(「マカッサル」海峡経由)』
- ^ #S1703二水戦日誌(2)p.45『十八(天候略)(二)一〇三〇黒潮合同 朝潮荒潮解列「パラオ」ニ於テ補給ノ上横須賀ニ向フ 神通黒潮速力之字運動ヲ止ム』
- ^ #S1703二水戦日誌(2)p.46『二十四(天候略)(一)〇九〇〇朝潮荒潮横須賀着/(二)修理整備工事』
- ^ #S1703横鎮日誌(5)p.53『二四日(天候略)(略)二.木曾、多摩木更津ニ向ケ出港/三.朝潮、荒潮入港』
- ^ #S1704横鎮日誌(1)p.16『朝潮|三月二十五日|四月十五日|砲撃ニ依ル被害』-『荒潮|三月二十五日|四月十五日|砲撃ニ依ル被害』
- ^ #S1704四水戦日誌(1)p.9『本日附艦隊編制替ニ依リ二十四駆ハ一水戦ニ八駆ハ當隊ニ編入セラレタリ 昭南港ニ於テ朝日及101工作部ト協議シ那珂應急修理ニ関スル要務處浬ヲ終リ十二日1000将旗ヲ夏雲ニ移揚ノ上九駆一小隊ヲ率ヰ高雄ヲ経テ横須賀ニ向ヒタリ 途上十八日敵機動部隊ノ来襲ヲ聞キ我亦之ニ應ズル如ク増速セルモ荒天ノ為意ノ如クナラズ二十一日横須賀ニ歸着尓後整備作業ニ従事セリ』
- ^ #S1703二水戦日誌(3)p.3『(一)四月十日附戰時編制ノ改編ニ伴ヒ8dgハ4sdニ編入セラレ又同日附GF第二段作戰第一期兵力部署ノ發動ニ依リ2sd(16dg 18dg缺)ハ前進部隊ニ16dg 18dgハ特令アル迄夫々南方部隊及機動部隊ニ残留ノコトトナル』
- ^ #叢書29北東方面184-185頁
- ^ #S1704横鎮日誌(4)p.33『二十三日〇八〇〇 二艦隊長官|二十三日一八〇五聯合艦隊長官 軍令部總長(横鎮長官)|一.十八日一三〇〇頃敵「ノースアメリカン」型一機横須賀ニ來襲横鎮下各砲台及在泊艦船ト共ニ之ヲ撃攘セリ/二.十八日一八〇〇 四戰隊(摩耶鳥海缺)四驅(2D缺)十驅逐隊(秋雲缺)七驅逐隊、朝潮荒潮ヲ率ヰ東京灣出撃灣外ニテ摩耶ヲ併セ十九日早朝敵ノ進攻地點ヲ推定索敵ニ努メタルモ敵情ヲ得ズ/三.二十日中敵ノ補給或ハ再度空襲準備地點ヲ水偵索敵ヲ行ヒタルモ又敵情ニ關シ得ル所ナシ/四.二十日午後ハ五戰隊(那智缺)祥鳳及二水戰(驅逐隊缺)ヲ加ヘ且北方部隊、警戒部隊、二十六航戰、二十一航戰、三潜戰等ヲモ統一指揮シ北寄リニ索敵ヲ續行セルモ適確ナル敵情ヲ得ズ既ニ東方ニ遁走セルモノト判断シアリシ所遇々本行動ノ任務ヲ解カレ原部署ニ復舊スルコトトナレリ/五.二十二日一一三〇須美壽島南方ヲ西航中ノ ソ聯船調査ノ爲摩耶及巻雲ヲ分派セル外敵ニ遭遇セズ直率部隊ハ同夜東京灣ニ歸投シ本行動ニ於ケル前進部隊内臨時部署ヲ解ケル』p.16『二十日二一五〇 二艦隊長官(宛略)前進部隊電令作第一七號 一.聯合艦隊電令作第一二五號ニ基キ第二段作戰第一旗兵力部署ニ於ケル前進部隊以外ノ隊艦ハ左ノ當該隊艦各指揮官所定ニ依リ行動スベシ/二.第五戰隊(那智缺)高雄摩耶祥鳳 第十驅逐隊(秋雲缺) 第七驅逐隊 朝潮荒潮ハ横須賀入港迄本職其ノ行動ヲ區處ス/三.二水戰(驅逐隊缺)ハ桂島ニ回航訓練ニ從事スベシ』
- ^ #S1704横鎮日誌(4)p.26『二十二日〇九〇〇五戰隊司令官(宛略)一.五戰隊(那智缺)二二日一九〇〇横須賀入港ノ豫定/二.荒潮ハ一番砲塔ノ防水帯呼称ノ爲半速移譲困難 荒潮ハ荒天ノ爲重傷者一命アリ出シ得ル最大速力ニテモ夜間入港ナルヲ以テ驅逐艦ヲ分離シ當隊先行ス/三.高雄ハ一八〇〇頃入港ノ要アルヲ以テ分離先行セシメタリ』
- ^ #内令昭和17年5月(2)p.26『内令第八百五十號 駆逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年五月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八駆逐隊ノ項中「大潮、満潮、」ヲ削ル|第九駆逐隊ノ項中「山雲、」ヲ削ル』
- ^ #重巡最上出撃せよ302頁
- ^ #重巡最上出撃せよ312-313頁。最上と朝潮が艦隊に合流した時、近藤司令長官は最上に「駆逐艦一隻ハ如何ニセシヤ」と質問した。
- ^ #聯合艦隊作戦室69-70頁
- ^ 戦史叢書第62巻 中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降、74ページ
- ^ #S1707佐鎮日誌(1)pp.14-15『(一)作戰他ヨリ入港セル左記艦船ニ對スル整備工事ヲ實施セリ 伊一五九、一六二潜、長月水無月三日月讃岐丸朝潮弥生望月瑞鳳神川丸睦月文月荒潮伊良湖伊一六八潜』
- ^ #内令昭和17年7月(2)p.15『内令第千二百四十八號|第八驅逐隊 横須賀鎮守府予備駆逐艦 驅逐艦 朝潮、驅逐艦 荒潮 右特別役務驅逐艦ト定ム|昭和十七年七月十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ #内令昭和17年8月(1)pp.10-11『内令第千四百二十四號|第八驅逐隊 横須賀鎮守府予備駆逐艦 驅逐艦 朝潮、驅逐艦 荒潮 右警備驅逐艦ト定メラル|昭和十七年八月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
- ^ S1710佐鎮日誌(4)p.48『十五(天候略)一.荒潮特型運貨船搭載装置新設工事施行方受領』
- ^ S1710佐鎮日誌(2)pp.31-32『十日海軍大臣(宛略)官房機密第一二七九二號 驅逐艦荒潮特型運貨船搭載装置新設ノ件訓令 佐世保海軍工廠ヲシテ首題ノ件左記ニ依リ施行セシムベシ』
- ^ #内令昭和17年10月(4)pp.10-11『内令第千九百三十四號|驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月二十日海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「荒潮」ノ下ニ「、満潮」ヲ加フ|第三十驅逐隊ノ項中「弥生、」ヲ削ル』
- ^ 「昭和17年10月20日(発令10月20日付)海軍辞令公報(部内限)第968号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072087400
- ^ #S1709八艦隊日誌(2)p.28『(3)軍隊区分ノ変更|第八驅|10-20|第八艦隊ニ編入』
- ^ #S1709十八戦隊日誌(7)pp.11-13『RA陸軍第二次輸送 乙護衛隊〔指揮官8dg司令 兵力8dg(満潮欠)磯波電〕』
- ^ #戦史叢書83ガ島戦427-428頁
- ^ #S1709八艦隊日誌(3)p.33『12.1|8dg(朝潮荒潮)電磯波|陸軍四二五名弾薬糧食|クムシ河口|敵ノ空爆ノ為「バサブア」入泊困難ノ為「クムシ」河口ニ揚陸磯波電トモ小破』
- ^ #電詳報其壱(4)1707p.54『四.成果(一)間断ナキ觸接爆撃下ニ輸送兵力ノ約半数ヲ揚陸セリ (二)敵機ニ対シ主砲機銃ニヨリ攻撃セシモ撃墜スルニ至ラズ』
- ^ #戦史叢書83ガ島戦428-429頁
- ^ #S1709十八戦隊日誌(7)pp.13-15『二.RA陸軍第三次輸送(略)10dg(秋雲巻雲欠)8dg(満潮欠)磯波電ハ陸軍山縣兵団第二次進出隊約一〇〇〇名及第十八軍幕僚ノ一部ヲ分乗尚揚陸舟艇及急速荷役ノ見地ヨリ糧食ハ「ドラム」罐入トシテ搭載10dg司令指揮下ニ八日〇八四三〇RR出撃開距離併陣列速力十八節(磯波電航続力ノ関係上此レ以上ノ速力使用ハ困難ナリキ)ニテ南下中〇八一五地點「ケケチ11」ニ於テ敵B-24一ヲ発見朝潮ハ其ノ外観行動共ニ味方機ナルヤノ疑アリテ増速及警戒配備下令ニ分秒ノ遅滞アリタル所敵機高度約二〇〇〇米ニテ直進攻撃シ来レル爲回避反撃充分ナラズ別項ノ被害ヲ受ケタルモ機関ニ異状ナカリシヲ以テ豫定通進撃続行』
- ^ 電詳報其弍(2)1712p.62『熊野十二月十二日一六〇五|入港後十驅磯波(荒潮電)ノ順ニ熊野(鈴谷)ノ右舷ニ横付燃料補給ス可補予定量十驅各艦一五〇トン其ノ他二〇〇トン』
- ^ a b #戦史叢書83ガ島戦447-448頁
- ^ 電詳報其弍(2)1712p.79『荒潮十二月十四日一三一八(宛略)一一四〇「IRR」島?ニ於テ敵機ト交戦中至近弾ニ依リ被害左ノ通 戦死者一命重傷四軽傷二 二一〇〇頃「RR」着ノ予定入港後重傷者直ニ送院方御手配ヲ乞フ』
- ^ a b c #戦史叢書83ガ島戦474-475、477頁
- ^ #ニューギニア海軍作戦p.35『(二)兵力部署』
- ^ 電詳報其弍(3)1712pp.3-4『コヽニ十二月十八日ヲ期シ「マダン」「ウエワク」方面ニ陸軍第五師團ヲ揚陸スルコトトナリ十二月十六日愛国丸艦長指揮ノ下ニ愛国丸護国丸荒潮凉風磯波電ニ第五師團歩兵約二箇大隊ヲ分乗「マダン」ニ向ケ「ラボール」ヲ出撃セリ』
- ^ #ニューギニア海軍作戦p.36『(イ)十二月十六日一八〇〇攻略部隊「ラバウル」出撃、第一警戒航行序列ヲ以テ進撃ス』
- ^ #ニューギニア海軍作戦p.36『(ニ)一七四四 敵五機觸接我ヲ攻撃ス、一七五四護國丸被弾小破』
- ^ 電詳報其弍(3)1712p.27『二〇一五|左九〇度天竜ノ方向ニ震動ヲ感ズ天竜ノ三番煙突附近ヨリ火災白煙ヲ認ム(魚雷命中)』
- ^ 電詳報其弍(3)1712pp.30-31『二一二九|磯波|荒潮|荒潮ハ速ニ天竜ノ所ヘ行ケ』-『二一三〇|涼風|磯波|本艦作業終了』-『二一三三|磯波|涼風荒潮|涼風ハ天竜救援ニ赴ケ荒潮ハドラム缶投入ニ行ケ』
- ^ a b #戦史叢書83ガ島戦450-451頁
- ^ 電詳報其弍(4)1712pp.26-27『コゝニ第十七駆逐隊司令指揮ノ下ニ谷風浦風荒潮磯波夕暮電ヲ以テ陸軍歩兵第二二九聯隊一大隊ヲ「ウイックハム」ニ輸送揚陸同地ヲ中継基地トシテ占領スルコトトナレリ』
- ^ #内令昭和17年12月(5)p.21『内令第二千四百二十九號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十九日 海軍大臣嶋田繁太郎|第八驅逐隊ノ項中「満潮」ノ下ニ「、大潮」ヲ加フ』
- ^ #S1801二水戦日誌(2)p.18『三.軍隊区分』
- ^ #戦史叢書83ガ島戦510-512頁
- ^ #S1801二水戦日誌(2)pp.28-29『3日1225増援部隊指揮官→8F司令長官(略)|一.第五次ガ島輸送部隊2日1100ショートランド発1215地点ケトネ41ニ於テB-17五P-38五機ト交戦撃退1605地点ケヌフ14ニ於テ爆撃機戦斗機十数機ト交戦味方直衛戦斗機六機ト共ニ撃退涼風至近弾ニ依リ損傷電掩護ノ下ニショートランドニ回航セシム 輸送部隊2200エスペランス着警戒隊ヲ以テ魚雷艇約八隻ノ執拗ナル来襲ヲ阻止撃攘(一隻撃沈)シツツ揚陸作業強行ドラム缶540ゴム嚢250投入2230泊地発3日0800(涼風電ハ0630)ショートランド帰着(以下略)』
- ^ #戦史叢書83ガ島戦512-513頁
- ^ #S1801二水戦日誌(1)p.18『一一(天候略)一.〇六三〇秋月(司令官10S)「ショートランド」着/二.〇九一五黒潮8dg(大潮荒潮)巻波「ショートランド」着/三.一五三〇10S司令官ニ増援部隊指揮官ノ引継ヲ了ス/四.一五三五将旗ヲ長波ニ移揚/五.江風(司令24dg)巻波8dg(大潮荒潮)東部「ニューギニア」方面護衛隊ニ編入/六.一八三〇嵐江風初風時津風「ショートランド」皈着/七.一七〇〇8dg(大潮荒潮)巻波「ラバウル」ニ向ケ「ショートランド」發』
- ^ 「昭和18年2月15日(2月15日付)海軍辞令公報(部内限)第1054号 p.31」 アジア歴史資料センター Ref.C13072089700 『第九驅逐隊司令海軍大佐 佐藤康夫(五七二)補第八驅逐隊司令/第八驅逐隊司令海軍大佐 山代勝守(七八二)横須賀鎮守府附被仰付』
- ^ a b #海軍駆逐隊、平成27154-155頁
- ^ #高松宮日記6巻37頁『○第八駆逐隊《二〇-〇六〇三》〇六〇三「大潮」雷撃ヲ六本ヲウケ内一本前部機械室右舷ニ命中、前後部機械室、三缶浸水、航行不能。「荒潮」制圧、アドミラルティ島北60度浸水量合計700t、戦死8、重傷1』
- ^ #S1712四水戦日誌(4)p.41『二十日二三五五(長官)2F(宛略)AdB電令作第一四八號 (司令官)4sdハ明二十一日早朝麾下駆逐艦一隻ヲ派遣シ成ルベク速ニ「トラツク」回航中8dg(朝潮大潮)被曳航中ニ合同シ之ガ警戒ニ任ゼラレ度二十日一七〇〇ノ位置〇度五五分南一四七度八分東針路三〇度速力八節』
- ^ #高松宮日記6巻37-38頁
- ^ #S1709八艦隊日誌(5)p.32『二月二十日 大潮「アドミラリテイ」諸島北方海面ニ於テ雷撃ヲ受ケ航行不能朝潮之ヲ「トラック」ニ曳航中二十一日船体切断沈没ス』
- ^ #S1712四水戦日誌(4)p.21『二一(天候略)一.(司令)村雨AdB電令作第一四八號ニ依ル8dg(荒潮大潮)警戒ノ爲出港セシモAdB電令作第一五〇號ニ依リ取止メラレトラツクニ皈投ス(大潮沈没)/二.春雨〇二〇〇波浪ノ爲全部屈折垂下〇九一〇前部ヲ切断ス』
- ^ #S1712四水戦日誌(4)p.45『二十一日〇六五〇(司令)8dg(宛略)大潮乗員全部救助シ機密書類整理ス司令旗ヲ荒潮ニ移シ「ラボール」ニ向フ護衛艦ヲ復皈サレ度』
- ^ #戦史叢書96ガ島撤収後51頁
- ^ #豊田、雪風(文庫)209-210頁
- ^ #豊田、雪風(文庫)212頁
- ^ #戦史叢書96ガ島撤収後59頁
- ^ a b #戦史叢書96ガ島撤収後61頁
- ^ #高松宮日記6巻81頁『三、護衛隊(イ)「白雪」〇九三五沈没(「敷波」救援)。(ロ)「荒潮」艦橋及二番砲被爆、舵故障、「野島」ト衝突、艦首大破、兵科士官全部戦死(「朝潮」救援)。(ハ)「時津風」機関室右舷ニ被雷、航行不能(「雪風」救援)、「敷波」「朝潮」「雪風」「浦波」「朝雲」被害軽微ナリ、戦闘航海差支ナシ。』
- ^ #撃沈船員記録93-94頁
- ^ #撃沈船員記録94-96頁
- ^ a b #高松宮日記6巻82頁『○増援部隊(四-〇一三五)二三一五「雪風」ハ「荒潮」ヲ発見、人員146名収容セリ。「荒潮」第二次攻撃ノ為更ニ大破、浸水、傾斜次第ニ増大シ沈没確実ト認ム。右ノ外、艦船其ノ他ヲ認メズ。〇一〇〇救援作業ヲ打切リ北上ス。燃料ノ関係上、カビエンニテ「川内」ヨリ補給ノ上、ラボール回航ス』86頁『○第十六駆逐隊(四-〇二一五)〇〇一五「荒潮」ノ現乗員全部約一七〇名、「雪風」ニ収容。同艦三日午前ノ空襲ニヨリ艦橋及二番砲被弾、舵取装置故障ニヨリ「野島」ト衝突、艦首圧潰ス。間モナク陸兵並負傷者ヲ「朝潮」ニ移乗セシメタル後、北方ニ避退中、午後再ビ被弾、航行全ク不能ニ陥リ漂流中「雪風」ニ発見セラレタルモノナリ。「雪風」到着時、既ニ左舷ニ約30°傾斜、上甲板水線水面ニ接シアル情況ニテ、漸次傾斜ヲ増大、放置スルモ自沈確実ナリト認メタルヲ以テ処分ヲ取止ム。「雪風」ニ収容セル人員、准士官以上七(兵科、掌砲ノミ)、下士官兵一五〇名、陸軍約一〇名、船員三名、計一七〇名。尚「荒潮」准士官以上ニ就キ「朝潮」「野島」ノ情況ヲ聴クニ、三日午後ニハ両艦共相当隔離シ、最後ノ情報不明ナルモ、「野島」ハ午前被弾ニ依リ既ニ火災ヲ起シアリ、又午後ノ空襲ノ際、遠距離ニ大黒煙ノ昇騰スルヲ認メタリト。』
- ^ #豊田、雪風(文庫)214頁
- ^ #撃沈船員記録97-98頁
- ^ #戦史叢書96ガ島撤収後67頁
- ^ #内令昭和18年4月(1)pp.28-29『内令第五百八十二號|横須賀鎮守府在籍 驅逐艦 村雨、驅逐艦 朝潮、驅逐艦 大潮、驅逐艦 荒潮、驅逐艦 峯雲|呉鎮守府在籍 驅逐艦 白雪、驅逐艦 時津風|右帝国駆逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第一潜水艦、伊號第十八潜水艦 右帝国潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十八年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎』
- ^ 「昭和12年7月15日(発令7月15日付)海軍辞令公報(号外)第4号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072100
- ^ a b 「昭和12年12月20日(発令12月20日付)海軍辞令公報(号外)第108号 pp.42-43」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072900
- ^ a b 「昭和13年1月13日(発令1月13日付)海軍辞令公報(号外)第121号 p.15」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300
- ^ a b 「昭和13年3月30日(発令3月30日付)海軍辞令公報(部内限)号外第158号 p.15」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073600
- ^ a b 「昭和14年8月16日(発令8月16日付)海軍辞令公報(部内限)第370号 p.26」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076200
- ^ a b 「昭和14年9月25日(発令9月25日付)海軍辞令公報(部内限)第382号 p.37」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076300
- ^ 「故海軍大佐久保木英雄位階追陞の件 p.5」 アジア歴史資料センター Ref.A12090358400
- ^ 「昭和18年11月10日(発令3月3日付)海軍辞令公報(部内限)第1260号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094300