斉州
魏晋南北朝時代
編集432年(元嘉9年)、南朝宋により歴城県に僑置された冀州を前身とする[1]。469年(皇興3年)、北魏により冀州は斉州と改称された。斉州は東魏郡・東平原郡・東清河郡・広川郡・済南郡・太原郡の6郡35県を管轄した[2]。
隋代
編集隋初には、斉州は2郡9県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、斉州の属郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、斉州は斉郡と改称され、下部に11県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||
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区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 | ||
州 | 斉州 | 青州 | 郡 | 斉郡 | |
郡 | 済南郡 | 東平原郡 | 楽安郡 | 県 | 歴城県 亭山県 臨邑県 祝阿県 長山県 鄒平県 章丘県 淄川県 高苑県 臨済県 長清県 |
県 | 歴城県 衛国県 臨邑県 山茌県 祝阿県 |
武強県 平原県 高唐県 貝丘県 |
長楽県 |
唐代以降
編集618年(武徳元年)、唐により斉郡は斉州と改められた。742年(天宝元年)、斉州は臨淄郡と改称された。746年(天宝5載)、臨淄郡は済南郡と改称された。758年(乾元元年)、済南郡は斉州と改称された。斉州は河南道に属し、歴城・章丘・亭山・臨邑・臨済・長清・禹城の7県を管轄した[4]。