岸井明
1910-1965, コメディアン、俳優、歌手。
岸井 明(きしい あきら、1910年10月13日 - 1965年7月3日)は日本のコメディアン、俳優、歌手。
きしい あきら 岸井 明 | |
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本名 | 同じ |
生年月日 | 1910年10月13日 |
没年月日 | 1965年7月3日(54歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市京橋区新富町(現在の東京都中央区新富) |
身長 | 182cm |
職業 | 俳優、歌手 |
ジャンル | 軽演劇、劇映画(時代劇・現代劇、喜劇映画、サイレント映画・トーキー) |
活動期間 | 1930年 - 1963年 |
配偶者 | 初霜菊子 |
著名な家族 | 岸井良衛(実兄)、勝間田具治(甥) |
主な作品 | |
『唄の世の中』 『からくり歌劇』 『エノケンの孫悟空』 『銀座カンカン娘』 |
経歴・人物
編集1910年(明治43年)10月13日、東京府東京市京橋区新富町(現在の東京都中央区新富)で弁護士の岸井辰雄の次男として生まれる。父は現在の埼玉県深谷市に生まれ、明治法律学校(現在の明治大学)卒業後、東京で弁護士を開業した。1925年(大正14年)東京弁護士会長となった。 明は1930年(昭和5年)、青山学院中等部・高等部を経て日本大学相撲部在学中に日活京都撮影所に入り、劇団「笑の王国」を主宰する。
1935年(昭和10年)には、古川ロッパと組み、数々の映画や喜劇に出演。歌う映画スターとして「ダイナ」や「タバコやの娘」を吹き込んだ。戦後は森川信と一座をくんだり、黎明期のテレビ番組に出演する傍ら、片岡千恵蔵主演の時代劇大作『大菩薩峠』など幅広く活躍した。1953年(昭和28年)には第4回NHK紅白歌合戦にも出場している。
夫人は宝塚歌劇団23期生で男役として月組で活躍した元タカラジェンヌの初霜菊子(旧姓:勝間田綾子)で、岸井あや子に改名後は女優として活躍した。実兄は劇作家、演出家、プロデューサー、時代考証家の岸井良衛。妻の甥はアニメーション監督・演出家の勝間田具治[1]。
第二次世界大戦後はフリーの俳優として映画、テレビなどで[2]脇役として活躍したが、1960年(昭和35年)眼底出血で倒れ、3年後に芸能界を引退。
出演作品
編集映画
編集- P.C.L.映画「唄の世の中」(1936年)
- P.C.L.映画「東京ラプソディ」(1936年)
- 日活「からくり歌劇」(1936年)
- 東宝「瞼の母」(1938年)
- 東宝「船出は楽し」(1938年)
- 東宝「忠臣蔵」(1939年)
- 東宝「新篇丹下左膳」(1939年)
- 東宝「エノケンの孫悟空」(1940年)
- 東宝「ハナ子さん」(1943年)
- 新東宝「見たり聞いたりためしたり」(1947年)
- 新東宝「あの夢この歌」(1948年)
- 新東宝「銀座カンカン娘」(1948年)
- 大映「歌う野球小僧」(1951年)
- 東映「三日月童子」(1954年)
- 東映「百面童子」(1955年)
- 東映「少年猿飛佐助」(1958年)
- 東映「ひばりの十八番お嬢吉三」(1960年)
テレビドラマ
編集歌謡曲
編集NHK紅白歌合戦出場歴
編集年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
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1953年(昭和28年)/第4回 | 洒落男 | 笠置シヅ子 |
出典
編集- ^ 日本にフルCG アニメは根付くのか? 勝間田具治 2012年6月号 東映アニメーション公式サイト
- ^ 『日本経済新聞』昭和40年7月3日15面(お悔み欄)
外部リンク
編集- 岸井明 ビクターエンタテインメント公式サイト
- 岸井明 - 日本映画データベース
- 岸井明 - KINENOTE