りそな・マルハビルは、東京都千代田区大手町一丁目にかつて存在した超高層ビルである。

りそな・マルハビル
りそな・マルハビル
施設情報
所在地 東京都千代田区大手町一丁目1番2号
座標 北緯35度41分10秒 東経139度45分43.5秒 / 北緯35.68611度 東経139.762083度 / 35.68611; 139.762083座標: 北緯35度41分10秒 東経139度45分43.5秒 / 北緯35.68611度 東経139.762083度 / 35.68611; 139.762083
状態 解体済
着工 1976年7月[1]
開業 1978年11月
解体 2013年
用途 オフィス
地上高
最頂部 107.95m
最上階 99.95m
各種諸元
階数 地上24階、地下4階、塔屋2階[1]
敷地面積 6,682.94
建築面積 4,809.55
延床面積 74,643.49
構造形式 地下:SRC造、地上:S造[1]
関連企業
設計 圓堂建築設計事務所
松田平田坂本事務所[1]
施工 鹿島建設東海興業竹中工務店
清水建設青木建設共同企業体(主体建設工事)[1]
所有者 三菱地所JXTGホールディングス
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概要

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大洋漁業(マルハを経て、現・マルハニチロ)が建築主となり、内堀通り永代通りが交わる、皇居大手門交差点の北東角に1978年11月に完成した。北隣の三菱東京UFJ銀行大手町ビル(旧三和銀行東京ビル。2012年解体)や三井物産ビル(2015年解体)など周囲のビルと高さを揃え、皇居前の景観に配慮して建てられた。1975年に大洋漁業の創立100周年記念事業の一環として当時の中部謙吉社長が新本社建設を決定し(それまでは大洋漁業は丸ビルに入居していた)、翌年7月から工事が着工。建設途中の1977年1月、中部は死去するが、後を継いだ次男の中部藤次郎社長により完成を見た。

当初から大洋漁業本社と協和銀行本店・本部(現・りそなホールディングスりそな銀行)が入居。高層部に大洋漁業本社と協和銀行本部、低層部に同行本店営業部が位置した[1]

業種の異なる(大洋漁業は水産、協和銀行は金融)二つの企業が同居するため、永代通り側(南)に協和銀行、内堀通り側(西)に大洋漁業とエントランスを分け、エレベータも別々に設けるなど独立性を持たせた。北側にも玄関があり、ロビーには東山魁夷タペストリー「緑響く」や山本雅彦の彫刻「春の唄」などが飾られていた[2]。協和銀行のエントランスは高さ11mの柱が張り巡らされた低層棟で、彫りの深い縦長の窓とあいまって奥行きを感じさせる構造であるとして[2]1980年に第21回BCS賞を受賞した[3]。かつては17階に大洋漁業PRセンターがあり、安価に商品を販売していた[2]

1985年8月、当時、本店を自社保有していない唯一の都市銀行であった協和銀行が、資金量が順調に伸び業績も安定していることを背景に、賃借していた1階から16階部分の譲渡を大洋漁業に申し入れ、当該部分を360億円で取得した。これに伴い、同行はビルの73%を保有することになり、敷地も同じ割合で共有することになった[4]

なお、大洋ビルを建設した鹿島建設、清水建設、竹中工務店の創業一族はマルハニチロの創業家・中部家と縁戚関係にある。

所有権売却

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2003年にマルハが所有していたビルの所有権27%を東急リアル・エステート投資法人が取得[5]。 次いで、2008年4月、りそなホールディングスが所有していた約7割のビルの所有権を三菱地所特定目的会社が1620億円で取得した[6]

三菱地所は、2010年2月、東急リアル・エステート投資法人の持ち分を取得し単独所有となったが[7]、同年3月には持ち分の27%を新日本石油(現:ENEOSホールディングス)に売却した[8]

所有権売却によって、りそなグループは2010年5月に賃料コスト削減と業務効率化を狙い江東区木場深川ギャザリアへ、マルハニチロは同年12月に同区豊洲の豊洲フロントにそれぞれ転出した。

大手町ホトリアに再開発

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当ビルは三菱地所による再開発計画「(仮称)大手町1-1計画」に伴い、隣接する三菱東京UFJ銀行大手町ビルとともに解体された。解体工事は請負会社の鹿島建設2008年に開発した鹿島カットアンドダウン工法(だるま落としのように下のフロアから徐々に壊していく方法)が導入されている[9]

再開発街区は、2012年6月11日都市再生特別地区の都市計画決定を受け[10][11]、旧りそな・マルハビルにあたるA棟は2013年2月20日に着工。跡地に大手門タワー・JXビル(現:大手門タワー・ENEOSビル)が2015年11月17日に竣工した[12]。竣工後、JXグループ(現:ENEOSグループ)各社の本社・オフィス機能は、暫定使用していた大手町2丁目(呉服橋交差点側)のJXビル(旧:新日鐵ビル)から移転した[13]。またB棟にあたる旧三菱東京UFJ銀行大手町ビル跡地には、2017年1月、大手町パークビルディングが竣工した。この再開発街区は大手町ホトリア命名されている。

ビル名の変遷

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  • 大洋漁業本社・協和銀行本店(1978年11月)[1]
  • 協和埼玉・大洋ビル[2]
  • あさひ・大洋ビル(1992年)
  • あさひ・マルハビル(1993年 - 2003年3月)
  • りそな・マルハビル(2003年3月 - 2013年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『近代建築』1979年4月号
  2. ^ a b c d ビル紳士録 p62-63
  3. ^ “BCS賞受賞作品 大洋ビル”. 社団法人日本建設業連合会. http://www.nikkenren.com/activity/bcs/detail.html?r=1980&ci=273 2013年2月20日閲覧。 [リンク切れ]
  4. ^ 「360億円で 大洋漁業 本社ビルの73% 協和銀に売却」『日本経済新聞』1985年8月9日
  5. ^ “【売買】りそなマルハビルの区分所有権を取得、東急リアル・エステート”. 日経不動産マーケット情報. (2003年12月22日). http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/fa/members/news/20061218/503082/ 2013年2月20日閲覧。 
  6. ^ “【売買・移転】三菱地所が大手町のりそな・マルハビルを取得、周辺との一体開発を検討”. 日経不動産マーケット情報. (2008年3月25日). http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/fa/members/news/20080325/517651/ 2013年2月20日閲覧。 
  7. ^ “【売買】大手町のりそな・マルハビルを420億円で取得、三菱地所の単独所有に”. 日経不動産マーケット情報. (2009年12月25日). http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/nfm/news/20091225/538127/ 2013年2月20日閲覧。 
  8. ^ “【売買】りそな・マルハビルを420億円で取得し、グラントウキョウサウスタワーを400億円で売却、新日本石油”. 日経不動産マーケット情報. (2010年2月26日). http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/nfm/news/20100226/539650/ 2013年2月20日閲覧。 
  9. ^ 『東京人』2018年5月号
  10. ^ “「りそな・マルハビル」・「三菱東京UFJ銀行大手町ビル」の建替 「(仮称)大手町1-1計画」について”. 三菱地所. (2012年6月11日). http://www.mec.co.jp/j/news/pdf/mec120611_1.pdf 2013年2月20日閲覧。 
  11. ^ “三菱地所、大手町に超高層ビル2棟建設 総工費700億円”. 日本経済新聞電子版. (2011年12月9日). http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE1E5E3E0E5E1E0E2E2EAE3E0E0E2E3E38698E0E2E2E2;at=DGXZZO0195165008122009000000 2011年12月15日閲覧。 
  12. ^ “「(仮称)大手町1-1計画A棟」新築工事着工のお知らせ”. 三菱地所. (2013年2月20日). http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec130220_ootemachi1_1.pdf 2013年2月20日閲覧。 
  13. ^ “「大手門タワー・JXビル」竣工”. JXホールディングス株式会社. (2015年11月16日). http://www.hd.jx-group.co.jp/newsrelease/upload_data/20151116_01_03_1050061.pdf 2016年5月15日閲覧。 

関連項目

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  • 中部慶次郎(元マルハ会長、謙吉の三男で藤次郎の弟。建物のオーナーでもあった)

参考文献

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  • 森喜則、今吉賢一『ビル紳士録』毎日新聞社、1992年。ISBN 4-620-30885-4