F4B (航空機)
F4B / P-12
F4B(Boeing F4B )は、 アメリカ合衆国のボーイング社が開発し、アメリカ海軍で運用された複葉艦上戦闘機。1929年より運用され、グラマン社製のF3Fが配備される1936年までアメリカ海軍の主力戦闘機であった。
P-12(Boeing P-12 )は、F4Bの派生型で主にアメリカ陸軍で運用された陸上戦闘機。同社の単葉戦闘機であるP-26ピーシューターが配備されるまで戦闘機として運用された。
開発
編集F4B
編集ボーイング製複葉戦闘機の集大成として、当時アメリカ海軍で運用されていたF2B戦闘機やF3B戦闘爆撃機を置き換える目的で開発されたのがF4Bである。社内名称モデル83として1928年に設計・開発に着手した。改良したモデル89とともに海軍評価用の試作機XF4B-1として完成したのは1929年5月であった。同年にモデル99 / F4B-1として採用が決定し、直ちに航空母艦への配備が開始された。
1938年にF3Fが配備されると、F4Bは第一線を退いて陸上基地での雑用機として運用された。太平洋戦争開戦時においても、30機以上が海軍に在籍していた。その後は無線操縦による無人標的機に改造され姿を消した。
P-12
編集F4Bが海軍に採用された後、アメリカ陸軍航空隊でも評価試験が行われ、P-12として採用することが決まった。戦闘飛行隊など前線任務のP-12は1934年から35年にかけて、P-26ピーシューターに置き換えられたが、1941年まで士官学校や整備士学校で操縦・整備の練習機として運用された。
設計
編集F4BとP-12は、双方とも当初は鋼管骨組みに羽布張りの胴体だったが、後期の型から金属製モノコック構造の胴体となり、尾橇が尾輪に改められた。
海軍のF4B-1からF4B-4までの型のうち、もっとも多く生産されたのは1932年から部隊配備されたF4B-4であった。この型は垂直尾翼が再設計された他、主翼下面に爆弾が搭載できるようになっていた。
陸軍のP-12は、P-12(Aは無い)からP-12Fまでのうち、前述の全金属化などの新設計になったP-12Eが最も多く生産された。
諸元
編集- 全長:6.19 m
- 全幅:9.12 m
- 全高:2.95 m
- 全備重量:1,401 kg
- エンジン:P&W R-1340D 空冷星型9気筒 (500馬力)1基
- 最大速度:296 km/h
- 航続距離:1,131 km
- 乗員:1名
- 武装:
- 7.7mm機関銃×2
- 52kg爆弾×2
各型
編集- モデル83
- 降着装置が同一車軸式で取り付けられ、425馬力のR-1340-8エンジンを動力とする試作機。1機製造。
- モデル89
- 降着装置が分割車軸式で取り付けられ、胴体下部に500lbまで搭載可能な爆弾架を備えた試作機。1機製造。
- XF4B-1
- 海軍による評価用に改められた、モデル83とモデル89の名称。[2]
- モデル99 / F4B-1
- 降着装置が分割車軸式で取り付けられ、機体下部に爆弾架が装備された艦上戦闘機型。27機製造。[3]
- F4B-1A
- とある海軍次官補用の私用輸送機。F4B-1(BuNo. A-8133)1機を改造したもので、武装は全て取り外され、燃料タンクが上翼の中央部に移動された。[4]
- モデル223 / F4B-2
- 降着装置が同一車軸式で取り付けられ、フリーズ型補助翼を装備。尾輪は尾橇と交換可能となっている。46機製造。[5]
- モデル235 / F4B-3
- F4B-2から胴体をセミモノコック金属製とし、装備を変更。21機製造。[6]
- モデル235 / F4B-4
- F4B-3から垂直尾翼の形状が再設計され、550馬力のR-1340-16エンジンへと換装。116lbまで搭載可能な翼下爆弾架が設置された。製造されたうちの最後45機には救命筏が搭載された。93機が製造されたが、うち1機は予備部品から製造された。[7]
- F4B-4A
- 無線操縦機として使用するために、陸軍から海軍へ移管された23機のP-12。[8]
- モデル102 / P-12
- 450馬力のR-1340-7エンジンを搭載したF4B-1の米国陸軍航空隊における戦闘機型。9機製造。
- モデル101 / XP-12A
- NACA製のカウルと短い降着装置を装備し、525 馬力のR-1340-9エンジンへ換装された、製造10機目のP-12。
- モデル102B / P-12B
- P-12の設計に、より大きな主輪とXP-12Aでテストされた装備が施された型。90機製造。
- モデル222 / P-12C
- リングカウルと分割車軸式の降着装置を備えたP-12B。96機製造。
- モデル234 / P-12D
- 525馬力のR-1340-17エンジンへ換装されたP-12C。35機製造。
- モデル234 / P-12E
- P-12Dをセミモノコック金属製の胴体とし、再設計された垂直尾翼を取り付けられた機体。後に尾橇の代用に尾輪が取り付けられたものもあった。110機製造。
- モデル251 / P-12F
- 600馬力のR-1340-19エンジンへ換装されたP-12E。25機製造。
- XP-12G
- P-12Bのうち、サイドタイプのスーパーチャージャーを備えたR-1340-15エンジンへ変更された試験機型。1機改造。
- XP-12H
- P-12Dのうち、GISR-1340E実験エンジンへ換装された試験機型。1機改造。
- P-12J
- 575馬力のR-1340-23エンジンへ換装され、特殊な爆撃照準器を搭載したP-12E。1機改造。
- YP-12K
- P-12EおよびP-12Jのうち、燃料噴射SR-1340Eエンジンへ換装された機体。7機が一時的に改造された。
- XP-12L
- YP-12KのうちF-2スーパーチャージャーが取り付けられた機体。1機が一時的に改造された。
- A-5
- P-12の無線制御標的機型。案のみで実現されなかった。
- モデル100
- 上翼に燃料タンクを備えた、F4B-1の民用型。4機製造。[9]
- モデル100A
- H・R・ヒューズの私用機。当初は複座であったが、後に単座に改造された。1機製造。[10]
- モデル100D
- P-12の試験機として一時的に使用されたモデル100のうち1機。[11]
- モデル100E
- シャム空軍向けのP-12Eの輸出型。2機製造のうち1機は、後に日本海軍に試験機としてAXBの名称で移管された。[12]
- モデル100F
- P&W社に販売された、エンジンテストベッド用のP-12F。1期製造。[13]
- モデル218
- アメリカ陸軍や海軍による評価後に、中国空軍へ販売されたP-12E / F4B-3の試作機。1機製造。[14]
- モデル256
- ブラジル海軍向けのF4B-4の輸出型。14機製造。[15]
- モデル267
- F4B-3の胴体にP-12Eの翼を取り付けたブラジル向けの輸出型。9機製造。[16]
現存する機体
編集型名 | 番号 | 機体写真 | 所在地 | 所有者 | 公開状況 | 状態 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
P-12E-BO | 31-559 1466 |
アメリカ オハイオ州 | 国立アメリカ空軍博物館[1] | 公開 | 静態展示 | [2] | |
P-12E-BO | 32-017 1512 |
アメリカ カリフォーニア州 | プレインズ・オヴ・フェイム航空博物館[3] | 公開 | 静態展示 | F4B-4 / A9029号機の塗装がされている。[4] | |
P-12F-BO | 32-092 1782 |
アメリカ フロリダ州 | 国立海軍航空博物館 | 公開 | 静態展示 | F4B-4 / A-9029号機の塗装がされている。 | |
F4B-4 | A9241 | アメリカ コロンビア特別行政区 | 国立航空宇宙博物館本館[5] | 公開 | 静態展示 | [6] | |
モデル100 | 1143 | アメリカ ワシントン州 | ミュージアム・オヴ・フライト | 公開 | 静態展示 | P-12 / 29-354号機の塗装がされている。 | |
モデル100E | 1488 | タイ バンコク都 | タイ王国空軍博物館 | 公開 | 静態展示 | ||
P-12F レプリカ | N3412E | 写真 | アメリカ テネシー州 | テネシー・ミュージアム・オヴ・エイヴィエーション (Tennessee Museum of Aviation) |
公開 | 静態展示 | |
F4B-3 レプリカ | 写真 | アメリカ カリフォーニア州 | ウェスタン・ミュージアム・オヴ・フライト | 公開 | 静態展示 | ||
F4B-4 レプリカ | (A-8026) | 写真 | アメリカ ハワイ州 | 真珠湾航空博物館 | 公開 | 静態展示 | ダニエル・K・イノウエ国際空港から移動された。 |
脚注
編集注釈
編集- ^ 内訳は、F4Bが187機、P-12が366機、33機が試験機・民間機・輸出機。
出典
編集- ^ "F4B." VF31.com. Retrieved: 10 June 2011.
- ^ Bowers 1989, p. 166.
- ^ Bowers 1989, p. 168.
- ^ Bowers 1989, p. 170.
- ^ Bowers 1989, p. 181.
- ^ Bowers 1989, pp. 187–188.
- ^ Bowers 1989, pp. 188–189.
- ^ Bowers 1989, pp. 189–190.
- ^ Bowers 1989, pp. 171–172.
- ^ Bowers 1989, pp. 173–174.
- ^ Bowers 1989, p. 175.
- ^ Bowers 1989, pp. 175–176.
- ^ Bowers 1989, p. 176.
- ^ Bowers, 1989. pp. 179–180.
- ^ Bowers 1989, pp. 192–193.
- ^ Bowers 1989, p. 193.