鈴木敬之

日本のサッカー選手

鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)

鈴木 敬之
名前
カタカナ スズキ タカユキ
ラテン文字 SUZUKI Takayuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-10-04) 1973年10月4日(51歳)
出身地 千葉県
身長 181cm[1]
体重 74kg[1]
選手情報
ポジション GK
ユース
1989-1991 日本の旗 習志野高校
1992-1995 日本の旗 中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2000 日本の旗 東京ガス/FC東京 48 (0)
通算 48 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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1989年習志野高校に入学し、1990年(2年生時)には全国高校選手権に出場しベスト8、1991年(3年生時)には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝及び優秀選手賞を獲得した[1]1992年中央大学に進学。同大学サッカー部では大熊清の指導を受けた。同期に新條宏喜

1996年より東京ガスに入社。社員選手として、大熊が監督を務めるジャパンフットボールリーグ東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入した。1997年のリーグ戦では、負傷離脱した正GK・堀池洋充に代わって鈴木が据えられ、広い守備範囲と安定した捕球で[2] 堀池に劣らない活躍を見せ[3]、リーグ2位入りに貢献した。

1999年、FC東京としてJリーグに参入し、J2ナビスコカップを並行して戦う中、7月のコンサドーレ札幌戦で堀池が負傷。控えに入っていた鈴木が途中投入され、この試合がJリーグデビューとなった。これ以後も大熊からは大きな信頼を寄せられ[3]、ナビスコカップ準々決勝第1戦では横浜マリノスを完封し、チームのベスト4入りに貢献。リーグ戦では終盤に連敗を重ねるも最終節まで出場を続け、J1昇格を果たした。

2000年は新加入した土肥洋一の前に出場機会を得られず契約非継続となり[4]、社業復帰の形で現役選手生活を引退した。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 東京ガス 22 旧JFL 5 0 - 2 0 7 0
1997 22 0 - 0 0 0 0
1998 0 0 - 0 0 0 0
1999 FC東京 J2 21 0 4 0 4 0 29 0
2000 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 21 0 4 0 4 0 29 0
日本 旧JFL 27 0 - 2 0 29 0
総通算 48 0 4 0 6 0 58 0

脚注

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  1. ^ a b c players info 鈴木 敬之 (2000年版) - ウェイバックマシン(2000年6月3日アーカイブ分) FC東京
  2. ^ a b c Team Info 鈴木 敬之 (1999年版) - ウェイバックマシン(2000年1月27日アーカイブ分) FC東京
  3. ^ a b 荒川裕治『FC東京の挑戦』小学館、2001年、40-41頁。 
  4. ^ 来季契約非継続選手について - ウェイバックマシン(2004年5月13日アーカイブ分) FC東京 (2000年12月1日)

関連項目

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外部リンク

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