「40階段」の版間の差分
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この階段は、[[釜山交通公社1号線]]の[[中央駅 (釜山広域市)|中央駅]]11番出口から、歩いて5分ほどのところにある<ref name=":1">{{Cite web |title=Recall the history with Forty Stairs |url=https://www.visitbusan.net/index.do?menuCd=DOM_000000301001001000&uc_seq=364&lang_cd=en |access-date=2024-07-25 |website=www.visitbusan.net |language=en}}</ref>。
階段下には、「四十階段紀念碑」と刻まれた石碑が立っている<ref name="gc">{{Cite web|url=https://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=01&contents_id=GC04201064|title=40계단 기념비|language=ko|publisher=한국학중앙연구원|work=부산역사문화대전|accessdate=2024-11-15}}</ref>。
== 歴史 ==
40階段が、いつ造成されたかについては、はっきりした時期は分かっていないが、階段の下から続く一帯が[[1902年]]から[[1908年]]に埋め立てられて1908年に中央洞に[[釜山駅]]広場が設けられた後、[[1909年]]から[[1912年]]にかけてのいずれかの時点で、段丘面上の{{仮リンク|東光洞|ko|동광동}}と往来するための最初の階段が設けられ、後に25メートルほど場所が移り、現在の階段になったと考えられている<ref name=":0">{{Cite web |last=양 |first=미숙 |title=40 계단(四十階段) - 부산역사문화대전 |url=https://busan.grandculture.net/Contents?local=busan&dataType=01&contents_id=GC04202543 |access-date=2024-07-25 |website=[[:en:Encyclopedia of Korean Local Culture|Encyclopedia of Korean Local Culture]]}}</ref>。
[[朝鮮戦争]]の際には、多数の避難民が釜山に流入したが、40階段周辺には多数の[[バラック]]が集まって、市も立ち、階段は戦争の混乱で離散した家族が、再会を約する場所として広く知られるようになった<ref name=":0" />。
しかし、その後、階段上にも建物が立て込み、幅が1メートルほどしかない状態にもなったという<ref name=":0" />。 [[1993年]]、中区庁は地域住民の協力を得て、元の場所から25メートル南側の位置に40段の階段を復元し、新たにこれを40階段として、階段下に石碑も設け、[[8月6日]]に除幕式を行なった<ref name="gc" />。
[[2004年]]6月には、[[1950年代]]から[[1960年代]]の雰囲気を演出した40階段文化観光テーマ通りが造成され、当時の人々の風俗を表現した銅像などが設けられた<ref name=":0" />。40階段文化観光テーマ通りは、この通りは、{{仮リンク|建設交通部|ko|대한민국 건설교통부}}が選定した「韓国の美しい道100選({{lang|ko|한국의 아름다운 길 100선}})のひとつに選ばれた<ref name=":0" />。また、階段上から100メートルほど離れた場所にある東光洞住民センター({{lang|ko|동광동 주민센터}})の中に40階段文化館({{lang|ko|40계단 문화관}})が設けられており、朝鮮戦争関係の歴史展示がなされている<ref name=":0" />。
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