高貞碑(こうていひ)は、中国の南北朝時代の北魏の正光4年(523年)6月に建てられた高級貴族の墓碑。六朝時代の北朝で発展した「六朝楷書」を代表する書蹟として知られるほか、同族の高慶・高湛(北斉の武成帝とは別人)の墓碑「高慶碑」「高湛碑」とともに「徳州三高碑」として知られている。 被葬者の高貞の墓の荒廃とともに土中に埋もれ、長くその存在を知られずにいたが、清の乾隆年間末期(1790年代末)に徳州で出土し、世に現れた。戦後、文化大革命の被害により真っ二つに破壊されたが、その後補修されて山東省徳州市徳城区の孔子廟に保存されている。