高島 嘉右衛門(たかしま かえもん 1832年11月22日(天保3年11月1日) - 1914年(大正3年)10月16日)は、幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家、易学家である。江戸三十間堀生まれで、幼名は清三郎。後に嘉兵衛、嘉右衛門と改名した。号は呑象(どんしょう)。以下、嘉右衛門を使用する。 明治初期に横浜港の埋め立て事業を手がけたことで横浜の発展に寄与しており、「横浜の父」あるいは吉田勘兵衛、苅部清兵衛らとともに横浜三名士ともいわれる。その業績は高島町という地名にも残っている。「高島易断」という書を著す。