馬 援(ば えん、紀元前14年 - 49年)は、中国新末期から後漢初期の武将。伏波将軍の号でも知られる。字は文淵。その娘(馬皇后)は後漢の第2代明帝の皇后となった。また子孫に後漢末期・三国時代の武将の馬騰・馬超父子がいる。彼の名言「男児要当死於辺野、以馬革裹屍還葬耳(男子たるもの当然辺境の原野に死、馬の皮で遺体を包まれ葬られるべきである)」は広く伝わっている