飯尾 為種(いいのお ためたね、? - 長禄2年5月20日(1458年6月30日))は室町時代中期の室町幕府幕臣。奉行衆として活動した。(肥前守)の長男であるが、宗家筋のの官途名である「備中守」を継いでいることからその後継とみられている。法号は永祥。弟に、子に飯尾為数・之種がいる。 生年は不詳であるが、為種の没後の文正元年(1466年)に次男の之種の屋敷を将軍足利義政が御成した時に母親(すなわち為種の未亡人)が80歳であったと伝えられるため、その生年と推定される嘉慶元年/元中4年(1387年)頃であったと推定する説(説)もある。また、この時に義政から御一家のの母(「石橋殿大方殿」)の消息を尋ねられていることから、治義の母=石橋祐義の室は之種の姉妹=為種の娘であったとする説(説)もある。