酒井 伴四郎(さかい はんしろう、天保5年7月21日(1834年8月25日) - ?)は、紀州和歌山藩の下級武士。禄高は30石で、大番組のうちの駿河組に属していた。諱は彰常(あきつね)。なお、名前の読みについては推測である。 最初の妻・飛路(病没)との間に長女の歌(宇多)、後妻・富貴との間に長男の鉄蔵がいた。ほかに江戸勤番を務めた叔父の宇治田平三もいた。