遵仁法親王(じゅんにんほっしんのう、享保21年1月12日(1736年2月23日) - 延享4年4月21日(1747年5月29日))は、江戸時代中期の皇族・僧。中御門天皇の第6皇子。母はの娘・掌侍五条寛子。仁和寺の門跡。幼名は政宮。諱は寛全(かんぜん)。正式な出家が親王宣下後であるため、入道親王とする表記もある。