賀陽宮(かやのみや)は、1900年(明治33年)5月9日に久邇宮朝彦親王の子邦憲王を初代として創設された宮家である。朝彦親王も幕末に還俗した初めは「中川宮」を称したが、朝廷の首脳部として一会桑政権と連携していた時期に「賀陽宮」と改め宮家の列に加えられていたことがある。宮号は朝彦親王邸の榧(かや)の老木に由来するといい、これに平安時代後期の里内裏である賀陽院(高陽院)の字を当てたものと思われる。日本国憲法・現行皇室典範施行後も皇族であったがGHQの指令により1947年(昭和22年)10月14日皇籍離脱。