藤原 賢子(ふじわら の けんし/かたいこ、天喜4年(1057年) - 応徳元年9月22日(1084年10月24日))は、第72代白河天皇の中宮、第73代堀河天皇の国母。太政大臣・藤原師実の養女。実父は右大臣・源顕房、母は源隆俊の女・。白河天皇の寵愛の后であり、その死をかなしんで天皇は数日食事をとらなかったという。贈太皇太后。名は「かたこ」ともよむ。