翁氏 永山殿内(おううじ ながやまどぅんち)は、唐名・翁寿祥、国頭親方盛順を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。王国末期に中城間切津覇村(現・中城村津覇地区)の脇地頭を務めた。五大姓(名門)の一つ、翁氏の大宗家(本家)。 元祖・盛順は三司官並びに石奉行を務めた。2世・盛久は「尊円城間」とあだ名された能書家。同じく三司官を務めたが、鄭迵・謝名親方の讒言により百姓の身分に落とされた。3年後に紫冠(親方位)に復帰。長男・盛増は薩摩侵入の際、鉄砲玉に当たって戦死した。7世・盛寿のとき、小禄間切永山地頭になり、以後「永山」を家名とした。 永山殿内は五大姓の一つ、翁氏の本家(大宗家)だが、王家一門の向氏を除く他の三大姓の本家が総地頭家なのに対して、永山殿内だけ脇地頭家である。分家のは総地頭家(中城間切)で、むしろこちらのほうが栄えた感がある。

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  • 翁氏 永山殿内(おううじ ながやまどぅんち)は、唐名・翁寿祥、国頭親方盛順を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。王国末期に中城間切津覇村(現・中城村津覇地区)の脇地頭を務めた。五大姓(名門)の一つ、翁氏の大宗家(本家)。 元祖・盛順は三司官並びに石奉行を務めた。2世・盛久は「尊円城間」とあだ名された能書家。同じく三司官を務めたが、鄭迵・謝名親方の讒言により百姓の身分に落とされた。3年後に紫冠(親方位)に復帰。長男・盛増は薩摩侵入の際、鉄砲玉に当たって戦死した。7世・盛寿のとき、小禄間切永山地頭になり、以後「永山」を家名とした。 永山殿内は五大姓の一つ、翁氏の本家(大宗家)だが、王家一門の向氏を除く他の三大姓の本家が総地頭家なのに対して、永山殿内だけ脇地頭家である。分家のは総地頭家(中城間切)で、むしろこちらのほうが栄えた感がある。 (ja)
  • 翁氏 永山殿内(おううじ ながやまどぅんち)は、唐名・翁寿祥、国頭親方盛順を元祖とする琉球王国の士族(首里士族)。王国末期に中城間切津覇村(現・中城村津覇地区)の脇地頭を務めた。五大姓(名門)の一つ、翁氏の大宗家(本家)。 元祖・盛順は三司官並びに石奉行を務めた。2世・盛久は「尊円城間」とあだ名された能書家。同じく三司官を務めたが、鄭迵・謝名親方の讒言により百姓の身分に落とされた。3年後に紫冠(親方位)に復帰。長男・盛増は薩摩侵入の際、鉄砲玉に当たって戦死した。7世・盛寿のとき、小禄間切永山地頭になり、以後「永山」を家名とした。 永山殿内は五大姓の一つ、翁氏の本家(大宗家)だが、王家一門の向氏を除く他の三大姓の本家が総地頭家なのに対して、永山殿内だけ脇地頭家である。分家のは総地頭家(中城間切)で、むしろこちらのほうが栄えた感がある。 (ja)
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