稲葉 正吉(いなば まさよし)は、江戸時代前期の武士・旗本。美濃国青野領(知行5000石)の2代領主。 元和4年(1618年)、稲葉正成の十男として生まれる。寛永5年(1628年)、兄・正次が死去した際、その子・は僅か3歳という幼年だったため、代わりにその所領である美濃青野領5000石を相続し、旗本寄合席に列した。 寛永18年(1641年)4月22日に甲府城の守衛、正保2年(1645年)6月25日に浅草寺観音堂の造営奉行を務めた。慶安3年(1650年)11月19日には書院番頭に就任した。 明暦2年(1656年)7月3日、駿府城の護衛中、家臣の・と男色問題のもつれから争いとなり、その末に殺害された。享年39。長男の正休が跡を継いだ。

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  • 稲葉 正吉(いなば まさよし)は、江戸時代前期の武士・旗本。美濃国青野領(知行5000石)の2代領主。 元和4年(1618年)、稲葉正成の十男として生まれる。寛永5年(1628年)、兄・正次が死去した際、その子・は僅か3歳という幼年だったため、代わりにその所領である美濃青野領5000石を相続し、旗本寄合席に列した。 寛永18年(1641年)4月22日に甲府城の守衛、正保2年(1645年)6月25日に浅草寺観音堂の造営奉行を務めた。慶安3年(1650年)11月19日には書院番頭に就任した。 明暦2年(1656年)7月3日、駿府城の護衛中、家臣の・と男色問題のもつれから争いとなり、その末に殺害された。享年39。長男の正休が跡を継いだ。 (ja)
  • 稲葉 正吉(いなば まさよし)は、江戸時代前期の武士・旗本。美濃国青野領(知行5000石)の2代領主。 元和4年(1618年)、稲葉正成の十男として生まれる。寛永5年(1628年)、兄・正次が死去した際、その子・は僅か3歳という幼年だったため、代わりにその所領である美濃青野領5000石を相続し、旗本寄合席に列した。 寛永18年(1641年)4月22日に甲府城の守衛、正保2年(1645年)6月25日に浅草寺観音堂の造営奉行を務めた。慶安3年(1650年)11月19日には書院番頭に就任した。 明暦2年(1656年)7月3日、駿府城の護衛中、家臣の・と男色問題のもつれから争いとなり、その末に殺害された。享年39。長男の正休が跡を継いだ。 (ja)
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  • 父:稲葉正成、母:山内康豊娘・与祢 (ja)
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  • 元和4年(1618年) (ja)
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  • 美濃青野領主 (ja)
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  • 稲葉 正吉(いなば まさよし)は、江戸時代前期の武士・旗本。美濃国青野領(知行5000石)の2代領主。 元和4年(1618年)、稲葉正成の十男として生まれる。寛永5年(1628年)、兄・正次が死去した際、その子・は僅か3歳という幼年だったため、代わりにその所領である美濃青野領5000石を相続し、旗本寄合席に列した。 寛永18年(1641年)4月22日に甲府城の守衛、正保2年(1645年)6月25日に浅草寺観音堂の造営奉行を務めた。慶安3年(1650年)11月19日には書院番頭に就任した。 明暦2年(1656年)7月3日、駿府城の護衛中、家臣の・と男色問題のもつれから争いとなり、その末に殺害された。享年39。長男の正休が跡を継いだ。 (ja)
  • 稲葉 正吉(いなば まさよし)は、江戸時代前期の武士・旗本。美濃国青野領(知行5000石)の2代領主。 元和4年(1618年)、稲葉正成の十男として生まれる。寛永5年(1628年)、兄・正次が死去した際、その子・は僅か3歳という幼年だったため、代わりにその所領である美濃青野領5000石を相続し、旗本寄合席に列した。 寛永18年(1641年)4月22日に甲府城の守衛、正保2年(1645年)6月25日に浅草寺観音堂の造営奉行を務めた。慶安3年(1650年)11月19日には書院番頭に就任した。 明暦2年(1656年)7月3日、駿府城の護衛中、家臣の・と男色問題のもつれから争いとなり、その末に殺害された。享年39。長男の正休が跡を継いだ。 (ja)
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