田堵(たと)は、日本の平安時代に荘園・国衙領の田地経営をおこなった有力百姓層を指す。経営規模に応じて、大名田堵(だいみょうたと)や小名田堵(しょうみょうたと)などと呼ばれた。初期の文書では田刀、田頭とも言う。田堵の堵は、垣を意味する。 また、「田刀」を「田刀禰」の略とみて、元は国司・郡司の下にいて田地の境界画定や勧農を担った刀禰を指していたとする見方もある。