田中 河内介(たなか かわちのすけ)は、幕末の青侍で、尊王攘夷派志士である。儒学者および漢学者。諱は綏猷(やすみち)。 寺田屋騒動後という幕末の騒乱の早い段階で非業の死を遂げるが、明治天皇の4歳になるまでの教育係で、大変慕われていたことが明治時代になってから一般にも知られるようになって有名になった。