田中 不二麿(たなか ふじまろ、1845年7月16日(弘化2年6月12日)- 1909年(明治42年)2月1日)は、明治期の日本の政治家、教育行政家。位階爵位は正二位勲一等子爵。号は夢山。名前は「不二麻呂」とも表記され、幕末には寅三郎(とらさぶろう)、国之輔と称した。明治新政府での著名人物としては非常に稀少な尾張藩出身の人物である。 尾張国名古屋城下出身。慶応3年12月(1868年1月)、新政府の参与となる。明治4年(1871年)、文部省出仕と同時に岩倉使節団理事官となり、欧米に渡って教育制度の調査に当たった。帰国後は文部大輔まで進み、学制実施と教育令制定を主導したが、明治13年(1880年)に司法卿に転じた。以後、副議長、駐伊特命全権公使、駐仏特命全権公使、枢密顧問官、司法大臣を歴任し、晩年は再び枢密顧問官を務めた。 明六社会員。島崎藤村の長編小説『夜明け前』や、井上ひさしの戯曲『國語元年』に登場する。