王 弥(おう び、? - 311年)は、中国五胡十六国時代の漢(後の前趙)の軍人。字は子固。東萊郡出身の漢人。祖父は魏で玄菟太守、西晋で汝南郡太守を務めた王頎。弟の・従弟の王桑もまた漢に仕えた。西晋末年の反乱勢力の統領であり、その中でも特に大規模な勢力となって華北を荒らし回り、西晋の国力を大いに衰微させた。後に劉淵に帰順して漢の将軍となり、洛陽攻略などの大功を挙げた。最終的な官位は大将軍まで至ったが、鎮東大将軍石勒と対立して誅殺された。