浅野セメント(あさのセメント)は、かつて存在した日本のセメント会社。 官営模範工場の払下げにより、浅野総一郎が創業した会社である。 品質でも生産量でも他社を凌駕し、1919年(大正8年)には日本のセメント生産高の半分を占めた。 歴史でも規模でも投資額でも浅野財閥の中心であり、北は北海道から南は台湾まで日本全国に多数の工場を持ち、未採掘の主な石灰石山のほとんど全てを所有していた。浅野財閥の基礎になった会社だった。第二次大戦後に財閥解体により、日本セメントに改称した。