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- 擒賊擒王(きんぞくきんおう)は、三十六計の第十八計。『敵を虜にしたければ、その王を捕らえるべきである(そうなれば敵軍はただの賊と同じだ)』 敵の主力を叩き、指揮官、中心人物を捕らえられれば、(末端の部隊といちいち交戦せずとも)敵を弱体化できるという、攻撃目標選択の妙と、効果判断の重要性を教える計略。 この語は、唐の詩人杜甫(とほ)の「前出塞(ぜんしゅつさい)」にある「射人先射馬 擒敵先擒王」(人を射んとすれば先ず馬を射よ、敵を擒えんとすれば先ず王を擒えよ)が出所である。唐の玄宗はしきりに出兵し、各所での戦いも長引くことが多く、兵士も民衆も疲弊していた。それに対し「前出塞」は、敵の指揮官など要点を突けば消耗を少なくして目的を達成できる。そういった戦略戦術もなくいたずらに攻めるだけでは、敵味方の死傷者が多くなってしまう、という歌である。 自軍が攻め勝って優勢にあるときに、戦利品を奪うことに気を取られて、敵の精鋭部隊や首魁を始末することを忘れるなら、虎を自由にして山に帰すようなものである。敵軍の旗の位置ではなく、その動きを見て、敵の主将の位置を判断しなければならない、とされる。なお、本来の語は、「射人先射馬 擒敵先擒王」であり、将自身を捕らえずとも、その手足となっている副官級の人々を捕らえるという方式(射人先射馬)もあわせて示している。 (ja)
- 擒賊擒王(きんぞくきんおう)は、三十六計の第十八計。『敵を虜にしたければ、その王を捕らえるべきである(そうなれば敵軍はただの賊と同じだ)』 敵の主力を叩き、指揮官、中心人物を捕らえられれば、(末端の部隊といちいち交戦せずとも)敵を弱体化できるという、攻撃目標選択の妙と、効果判断の重要性を教える計略。 この語は、唐の詩人杜甫(とほ)の「前出塞(ぜんしゅつさい)」にある「射人先射馬 擒敵先擒王」(人を射んとすれば先ず馬を射よ、敵を擒えんとすれば先ず王を擒えよ)が出所である。唐の玄宗はしきりに出兵し、各所での戦いも長引くことが多く、兵士も民衆も疲弊していた。それに対し「前出塞」は、敵の指揮官など要点を突けば消耗を少なくして目的を達成できる。そういった戦略戦術もなくいたずらに攻めるだけでは、敵味方の死傷者が多くなってしまう、という歌である。 自軍が攻め勝って優勢にあるときに、戦利品を奪うことに気を取られて、敵の精鋭部隊や首魁を始末することを忘れるなら、虎を自由にして山に帰すようなものである。敵軍の旗の位置ではなく、その動きを見て、敵の主将の位置を判断しなければならない、とされる。なお、本来の語は、「射人先射馬 擒敵先擒王」であり、将自身を捕らえずとも、その手足となっている副官級の人々を捕らえるという方式(射人先射馬)もあわせて示している。 (ja)
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- 擒賊擒王(きんぞくきんおう)は、三十六計の第十八計。『敵を虜にしたければ、その王を捕らえるべきである(そうなれば敵軍はただの賊と同じだ)』 敵の主力を叩き、指揮官、中心人物を捕らえられれば、(末端の部隊といちいち交戦せずとも)敵を弱体化できるという、攻撃目標選択の妙と、効果判断の重要性を教える計略。 この語は、唐の詩人杜甫(とほ)の「前出塞(ぜんしゅつさい)」にある「射人先射馬 擒敵先擒王」(人を射んとすれば先ず馬を射よ、敵を擒えんとすれば先ず王を擒えよ)が出所である。唐の玄宗はしきりに出兵し、各所での戦いも長引くことが多く、兵士も民衆も疲弊していた。それに対し「前出塞」は、敵の指揮官など要点を突けば消耗を少なくして目的を達成できる。そういった戦略戦術もなくいたずらに攻めるだけでは、敵味方の死傷者が多くなってしまう、という歌である。 自軍が攻め勝って優勢にあるときに、戦利品を奪うことに気を取られて、敵の精鋭部隊や首魁を始末することを忘れるなら、虎を自由にして山に帰すようなものである。敵軍の旗の位置ではなく、その動きを見て、敵の主将の位置を判断しなければならない、とされる。なお、本来の語は、「射人先射馬 擒敵先擒王」であり、将自身を捕らえずとも、その手足となっている副官級の人々を捕らえるという方式(射人先射馬)もあわせて示している。 (ja)
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