戯文(ぎぶん)とは、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。南方系の楽曲である南曲を用いる。明代に隆盛した。南曲戯文(なんきょくぎぶん)、南戯(なんぎ)ともいう。 その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。 『永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその2⁄3は元雑劇と共通している。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。 元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された。 雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。

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  • 戯文(ぎぶん)とは、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。南方系の楽曲である南曲を用いる。明代に隆盛した。南曲戯文(なんきょくぎぶん)、南戯(なんぎ)ともいう。 その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。 『永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその2⁄3は元雑劇と共通している。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。 元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された。 雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。 南戯はその後政府によって厳しく抑制されていったん停滞するが、明後期の嘉靖年間に新たに崑山(現江蘇省蘇州市東部)の魏良輔が改良した崑曲が隆盛したことから、嘉靖から万暦にかけて南戯の黄金時代を迎える。これ以降については伝奇を参照のこと。 (ja)
  • 戯文(ぎぶん)とは、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。南方系の楽曲である南曲を用いる。明代に隆盛した。南曲戯文(なんきょくぎぶん)、南戯(なんぎ)ともいう。 その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。 『永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその2⁄3は元雑劇と共通している。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。 元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された。 雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。 南戯はその後政府によって厳しく抑制されていったん停滞するが、明後期の嘉靖年間に新たに崑山(現江蘇省蘇州市東部)の魏良輔が改良した崑曲が隆盛したことから、嘉靖から万暦にかけて南戯の黄金時代を迎える。これ以降については伝奇を参照のこと。 (ja)
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  • 戯文(ぎぶん)とは、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。南方系の楽曲である南曲を用いる。明代に隆盛した。南曲戯文(なんきょくぎぶん)、南戯(なんぎ)ともいう。 その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。 『永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその2⁄3は元雑劇と共通している。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。 元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された。 雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。 (ja)
  • 戯文(ぎぶん)とは、中国の古典的な演劇である戯曲形式の一つ。南方系の楽曲である南曲を用いる。明代に隆盛した。南曲戯文(なんきょくぎぶん)、南戯(なんぎ)ともいう。 その源流は南宋の時、浙江省温州(当時は永嘉)で行われた温州雑劇にあるという。 『永楽大典』の巻13965から巻13991までの27巻に宋元戯文33篇を収録していたが、最終巻の3篇(小孫屠・宦門子弟錯立身・張協状元)のみが現存し、残り30篇は外題のみが知られる。それを見るとその2⁄3は元雑劇と共通している。南宋の作品で現存しているのは上記の『永楽大典』に収められている「張協状元」のみである。 元代には北方の雑劇に押されていたが、元末明初の高明が『琵琶記』を書いたことから南戯が復興した。ほぼ同じころに『拝月亭』・『劉智遠』・『荊釵記』・『殺狗記』の四大戯文が現れ、『拝劉荊殺』と総称された。 雑劇が曲律の厳しい制約を受け、たとえば劇を通して原則として1人しか歌えず、幕(折)の数は4に固定されていたが、南戯ではあらゆる人が歌うことができ、幕の数に制約がなく50-60幕に至る長編作品もあり、ひとつの幕の中で宮調を変えることができるなど制約が少なく、また時には自由に北曲を取り入れたりした。また文人が多く参加したため、元雑劇が口語の使用が多いのに比べて、文語的要素が強い。 (ja)
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  • 戯文 (ja)
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