平田 玉蘊(ひらた ぎょくうん、天明7年(1787年) - 安政2年6月20日(1855年8月2日))は、江戸時代後期の画家。名は豊(とよ)のちに章(あや)。玉蘊は号。備後国尾道(現広島県尾道市)の人。 白井華陽『』に記載された22名の女流画家の一人。当時としては稀な自立して画業で生計を立てた女性であり、終生尾道で活動していたが全国で名を知られていた。多くの作品を残したにもかかわらず、作品評より頼山陽との関係について語られてきた人物。