川上 操六(かわかみ そうろく、1848年12月6日(嘉永元年11月11日) - 1899年(明治32年)5月11日)は、明治期の日本の陸軍軍人。官位は参謀総長・陸軍大将。栄典は従二位・勲一等・功二級・子爵。幼名宗之丞。長男のは陸軍歩兵少佐、娘は小原伝陸軍中将に嫁ぐ。桂太郎、児玉源太郎とともに、「明治陸軍の三羽烏」とされる。