小山田 弥太郎(おやまだ やたろう、生年不詳 - 永正5年(1508年)12月5日)は、室町時代後期・戦国時代の武将。甲斐国都留郡の国衆。父は小山田信長と考えられている。『甲州郡内小山田家系図』に拠れば郡内小山田氏の14代当主で、「弥太郎」は仮名。諱は「信隆」とされるが確証はない。また、同系図に拠れば法名は「徹山(てつざん)」とされるが、これは誤りであることが指摘され、永昌院二世・の語録『』に拠れば、法名は「義山」であることが確認されるが、『甲州郡内小山田家系図』では「儀山」を弥太郎の曽祖父・信実としている。 妻は駿河国今川氏家臣である高天神福嶋氏もしくは懸川朝比奈氏の正室である人物で、弥太郎没後に「中津森御太方様(なかつもりおだいぼうさま)と呼ばれた。一方、『甲州郡内小山田氏系図』では駿河の国衆・葛山氏の娘で姉は瀬名一秀の室としている。

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  • 小山田 弥太郎(おやまだ やたろう、生年不詳 - 永正5年(1508年)12月5日)は、室町時代後期・戦国時代の武将。甲斐国都留郡の国衆。父は小山田信長と考えられている。『甲州郡内小山田家系図』に拠れば郡内小山田氏の14代当主で、「弥太郎」は仮名。諱は「信隆」とされるが確証はない。また、同系図に拠れば法名は「徹山(てつざん)」とされるが、これは誤りであることが指摘され、永昌院二世・の語録『』に拠れば、法名は「義山」であることが確認されるが、『甲州郡内小山田家系図』では「儀山」を弥太郎の曽祖父・信実としている。 妻は駿河国今川氏家臣である高天神福嶋氏もしくは懸川朝比奈氏の正室である人物で、弥太郎没後に「中津森御太方様(なかつもりおだいぼうさま)と呼ばれた。一方、『甲州郡内小山田氏系図』では駿河の国衆・葛山氏の娘で姉は瀬名一秀の室としている。 (ja)
  • 小山田 弥太郎(おやまだ やたろう、生年不詳 - 永正5年(1508年)12月5日)は、室町時代後期・戦国時代の武将。甲斐国都留郡の国衆。父は小山田信長と考えられている。『甲州郡内小山田家系図』に拠れば郡内小山田氏の14代当主で、「弥太郎」は仮名。諱は「信隆」とされるが確証はない。また、同系図に拠れば法名は「徹山(てつざん)」とされるが、これは誤りであることが指摘され、永昌院二世・の語録『』に拠れば、法名は「義山」であることが確認されるが、『甲州郡内小山田家系図』では「儀山」を弥太郎の曽祖父・信実としている。 妻は駿河国今川氏家臣である高天神福嶋氏もしくは懸川朝比奈氏の正室である人物で、弥太郎没後に「中津森御太方様(なかつもりおだいぼうさま)と呼ばれた。一方、『甲州郡内小山田氏系図』では駿河の国衆・葛山氏の娘で姉は瀬名一秀の室としている。 (ja)
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  • 小山田弥太郎 (ja)
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