天発神讖碑(てんぱつしんしんひ)は、三国時代の呉において天璽元年(276年)以降に建てられた顕彰碑。元号により「天璽紀功碑」、折れて発見されたことから「天璽断碑」「三段碑」とも呼ばれる。同年に建てられた封禅国山碑と建碑事情が同じであり、両碑は兄弟関係にある。 独自の極めて特殊な書風と内容を持った碑として知られている。また呉を滅亡させる要因となった孫晧の失政を象徴する存在でもある。 魏の碑が大半を占める三国時代にあって、貴重な他国の書蹟である。しかし原石は北宋代から数度移転された後、清の嘉慶10年(1805年)に火災で焼失し、現在は拓本のみが残されている。