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- 兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社(護国神社)である。兵庫県東部(丹波・摂津・淡路(十三市一郡))ゆかりの戦没者53,257柱を祀る。 明治以降、兵庫会下山(現 兵庫区会下山町)に祭庭を設けて戦没者の招魂祭が行われていたが、昭和16年(1941年)、灘区王子町に社殿を造営し、内務大臣指定護国神社となった。昭和20年(1945年)の戦災で社殿ほかを焼失し、昭和34年(1959年)11月、同区篠原北町の現在地に社殿を復興し、遷座した。第二次大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、「兵庫御霊神社」と改称していた。独立後は元の社名に復した。 兵庫県内には、他に姫路市の兵庫縣姫路護國神社があり、こちらは県西部の戦没者を祀っている。 (ja)
- 兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社(護国神社)である。兵庫県東部(丹波・摂津・淡路(十三市一郡))ゆかりの戦没者53,257柱を祀る。 明治以降、兵庫会下山(現 兵庫区会下山町)に祭庭を設けて戦没者の招魂祭が行われていたが、昭和16年(1941年)、灘区王子町に社殿を造営し、内務大臣指定護国神社となった。昭和20年(1945年)の戦災で社殿ほかを焼失し、昭和34年(1959年)11月、同区篠原北町の現在地に社殿を復興し、遷座した。第二次大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、「兵庫御霊神社」と改称していた。独立後は元の社名に復した。 兵庫県内には、他に姫路市の兵庫縣姫路護國神社があり、こちらは県西部の戦没者を祀っている。 (ja)
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- (ja)
- 兵庫県神戸市灘区篠原北町4-5-1 (ja)
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- 昭和16年(1941年)6月 (ja)
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prop-en:名称
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- 兵庫縣神戸護國神社 (ja)
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prop-en:所在地
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- 兵庫県神戸市灘区篠原北町4-5-1 (ja)
- 兵庫県神戸市灘区篠原北町4-5-1 (ja)
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prop-en:社格
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prop-en:神事
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- みたま祭(7月第3土・日曜日) (ja)
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prop-en:祭神
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- 兵庫県東部の国事殉難者 (ja)
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- 兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社(護国神社)である。兵庫県東部(丹波・摂津・淡路(十三市一郡))ゆかりの戦没者53,257柱を祀る。 明治以降、兵庫会下山(現 兵庫区会下山町)に祭庭を設けて戦没者の招魂祭が行われていたが、昭和16年(1941年)、灘区王子町に社殿を造営し、内務大臣指定護国神社となった。昭和20年(1945年)の戦災で社殿ほかを焼失し、昭和34年(1959年)11月、同区篠原北町の現在地に社殿を復興し、遷座した。第二次大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、「兵庫御霊神社」と改称していた。独立後は元の社名に復した。 兵庫県内には、他に姫路市の兵庫縣姫路護國神社があり、こちらは県西部の戦没者を祀っている。 (ja)
- 兵庫縣神戸護國神社(ひょうごけんこうべごこくじんじゃ)は、兵庫県神戸市灘区にある神社(護国神社)である。兵庫県東部(丹波・摂津・淡路(十三市一郡))ゆかりの戦没者53,257柱を祀る。 明治以降、兵庫会下山(現 兵庫区会下山町)に祭庭を設けて戦没者の招魂祭が行われていたが、昭和16年(1941年)、灘区王子町に社殿を造営し、内務大臣指定護国神社となった。昭和20年(1945年)の戦災で社殿ほかを焼失し、昭和34年(1959年)11月、同区篠原北町の現在地に社殿を復興し、遷座した。第二次大戦後のGHQ占領下は、「護国神社」の名称では軍国主義施設として廃止される虞があるとして、「兵庫御霊神社」と改称していた。独立後は元の社名に復した。 兵庫県内には、他に姫路市の兵庫縣姫路護國神社があり、こちらは県西部の戦没者を祀っている。 (ja)
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- 兵庫縣神戸護國神社 (ja)
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- 兵庫縣神戸護國神社 (ja)
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