保科 正静(ほしな まさやす、承応2年(1653年) - 正徳2年5月7日(1712年6月10日))は、江戸時代中期の江戸幕府旗本寄合席。飯野藩主家分家の旗本保科家第2代当主。諱は正豊、正峯、正静。通称は巳之助、主税。父は保科正英。兄は小出英勝。正室は松平信重(藤井松平家)の娘。養子は保科正純(の子、淡路守)、養女は保科正純の妻(沼間清氏の娘)。使番や先手弓頭などを勤める。