京極宮文仁親王(きょうごくのみや あやひとしんのう、延宝8年8月16日(1680年9月8日) - 宝永8年3月6日(1711年4月23日))は、江戸時代中期の日本の皇族。京極宮(桂宮)第7代。霊元天皇の第六皇子。母は内大臣の女の藤原宗子(敬法門院)。幼称は富貴宮(ふきのみや)、または茶々丸(ちゃちゃまる)。