一条 経通(いちじょう つねみち)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿。関白・一条内経の長男。官位は従一位・関白、左大臣。一条家5代当主。 1336年の南北分裂後は北朝側に属し、北朝第2代光明天皇の下で、建武5年(暦応改元前、1338年)から暦応5年(康永改元前、1342年)まで関白を務め、同時に藤氏長者となった。日記『』の著者。