タイピヌ・テギン(Taypinu tigin、生没年不詳)は、14世紀中に活躍した大元ウルスのウイグル人。本来は天山ウイグル王国の君主(イディクート)の末裔であるが、祖父の時代にカイドゥの侵攻によって本領(ウイグリスタン)を失ってしまったため、大元ウルスにおいて準王族として活動した。 『元史』などの漢文史料では太平奴(tàipíngnú)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述により「タイピヌ・テギン(Taypinu tigin)」が正しい名前であると判明している。

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  • タイピヌ・テギン(Taypinu tigin、生没年不詳)は、14世紀中に活躍した大元ウルスのウイグル人。本来は天山ウイグル王国の君主(イディクート)の末裔であるが、祖父の時代にカイドゥの侵攻によって本領(ウイグリスタン)を失ってしまったため、大元ウルスにおいて準王族として活動した。 『元史』などの漢文史料では太平奴(tàipíngnú)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述により「タイピヌ・テギン(Taypinu tigin)」が正しい名前であると判明している。 (ja)
  • タイピヌ・テギン(Taypinu tigin、生没年不詳)は、14世紀中に活躍した大元ウルスのウイグル人。本来は天山ウイグル王国の君主(イディクート)の末裔であるが、祖父の時代にカイドゥの侵攻によって本領(ウイグリスタン)を失ってしまったため、大元ウルスにおいて準王族として活動した。 『元史』などの漢文史料では太平奴(tàipíngnú)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述により「タイピヌ・テギン(Taypinu tigin)」が正しい名前であると判明している。 (ja)
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  • タイピヌ・テギン(Taypinu tigin、生没年不詳)は、14世紀中に活躍した大元ウルスのウイグル人。本来は天山ウイグル王国の君主(イディクート)の末裔であるが、祖父の時代にカイドゥの侵攻によって本領(ウイグリスタン)を失ってしまったため、大元ウルスにおいて準王族として活動した。 『元史』などの漢文史料では太平奴(tàipíngnú)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述により「タイピヌ・テギン(Taypinu tigin)」が正しい名前であると判明している。 (ja)
  • タイピヌ・テギン(Taypinu tigin、生没年不詳)は、14世紀中に活躍した大元ウルスのウイグル人。本来は天山ウイグル王国の君主(イディクート)の末裔であるが、祖父の時代にカイドゥの侵攻によって本領(ウイグリスタン)を失ってしまったため、大元ウルスにおいて準王族として活動した。 『元史』などの漢文史料では太平奴(tàipíngnú)と表記されるが、蒙漢合壁碑(ウイグル文字文と漢文の両方が記される碑文)の「高昌王世勲碑」の記述により「タイピヌ・テギン(Taypinu tigin)」が正しい名前であると判明している。 (ja)
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