年を取って、よかったのかどうか。

phaさん(id:pha)のこのエントリを拝見して、ぜひ新刊を読んでみたいなと思った。
pha.hateblo.jp

ぼくは2014年頃から2020年まで「中年になるとはどういうことか」というのをずっと考えてきた。

正直に言うと、はじめの頃は、そこまで真剣に考えていたわけではないような気がする。
当時まだ30代半ばだったぼくがなぜ中年ということに関心を持ったかと言えば、年を取ることへの不安というよりも、今の勝負から逃げたかったから、というのが本音だったように思う。
仕事をしていると、競争の連続だ。
どっちが多く稼げるか、どっちが面白い企画を作れるか、どっちが出世するか、そういうことの繰り返しの中で、ぼくは早々に白旗を上げてしまった。
理由は色々あるが、とにかく、ああこのまま競争に負け続けるくらいなら、目の前の勝負はあきらめて、もっと先のことについて考えよう、今の負けと引き換えに、次に勝てるようにしよう。
そんな風に思っていたような気がする。

それから10年近くたって、本当の中年になって、果たして「次の勝負」には勝てるようになったのか。
これについて判定するのはとても難しいが、総合的に見ると、ぼくは「まだ負けていない」と思う。

もちろん、ぼくは今でも色々と負け続けている。
若い人たちの優秀さにはまったく勝てないし、同年代の人たちの努力にも全然勝てないし、先輩方の豊富な経験にも全く勝てない。
それはいまだにしんどいなと感じるし、逃げたいなとも思う。
ただ、ぼくは自分が目指していることについては真剣に取り組みつづけられている。
いつも失敗続きで、本当にイヤになってくるが、しかしあきらめずに食らいつき続けている。
中年になったぼくは、ぼくが勝手に決めた、ぼくだけの「勝負」からは逃げずにいられていると思う。

そして、それが今のところ、ぼくにとっての「中年になること」なのだとも思う。
若い間は体力にあふれ、集中力もあり、選択肢がたくさんある。
今はそういうわけにはいかない。
一日のうちで、十分に集中できる時間がどんどん短くなっていく。
おまけにまだ子育ても終わっていないから、使える時間が本当に限られている。
その中で、これだけはあきらめられない、ということにこだわって、あとはスッパリあきらめて食らいつき続ける。
今のぼくには、そういうやり方が向いているように思う。

とまあ、こう書くと、いやいや、いい年こいてまだ「勝負」とか言ってるのかよ…という感じだが、これはなんというか、自分との勝負なのである。
子どもがブロックの上だけを歩いて落ちたらアウトと勝手に決める遊びと何も変わらない。
そう、遊びだ。
どうも、ぼくは年を取って、ようやく人生の遊び方がわかってきたのだろう。

今日の夕方、夕食の食材が切れていることに気づいて、あわてて自転車に乗って買い物に出かけたら雨が降ってきた。
ついてないなあと思いながらガマンしてスーパーまでたどりついたら、雨がやんで、大きな虹がかかっていた。
それは本当に大きくて立派な虹で、おまけに外側にもう一つの少し薄めの虹があって、二重になっていた。
周りの人たちも足を止めて、眺めたり、写真を撮ったりしていた。
昔のぼくなら、ああ虹か、というくらいにしか思わなかっただろうけど、中年になったぼくは、じっと立ち止まって、じっくりと眺め、ひどく満たされた気持ちになった。

若い頃のぼくにとって、人生は競争するものであり、勝つものだった。
今は真剣に遊ぶものであり、愛でるものだと思う。
そう思えるだけでも、ぼくは年を取ってよかったと思う。