正義を問いかける:兵庫県の知事への批判と、実践と制度の正義

 けっきょくのところ、兵庫県の知事をめぐることで、なにが正義なのだろうか。

 兵庫県の斎藤元彦知事をめぐることで、何が正義なのかを見て行く。

 正義では、二つにふ分けすることがなり立つ。実践と、制度だ。

 社会における平等のことなのが正義だ。

 げんみつには正義を定義づけできづらい。あいまいさを持つ。客観の価値とはできず、主観の価値であるのはいなめない。とりわけ政治で上から一つの価値を客観のものであるかのようにして下に押しつけるのは良くないことだ。

 主体がいる。主体としては、兵庫県の斎藤知事がいる。斎藤知事に批判を投げかける主体もいる。

 正義をなしているのは、斎藤知事に批判を投げかけている主体だ。兵庫県の職員と、大学の先生と、弁護士の三人をあげることがなり立つ。

 兵庫県の職員は、自殺をしてしまった。いまは生きていない。いまは生きていない職員を含めて、あと大学の先生と弁護士が、斎藤知事を告発したのである。

 三人の人が、斎藤知事を告発した。手だてとしては、正義に当たる制度を使ったものである。よくないやり方で制度を使ったら、不正に当たることがある。よくないやり方で制度を使ったのではないのであれば、不正がないのだから、正義にあたる制度を益になる形で使った見こみがある。

 いろいろな主体がいるから、そのそれぞれの主体が、実践の正義をなしているのかどうかを見て行ける。一つひとつのことについて、実践の正義に当たるかどうかを見て行く。正義に当たる制度があって、それを活用しているのかどうかを見て行く。正義に当たる制度では、いちばん大きなものとしては日本の国の憲法がある。

 平等をよしとしているのが憲法だ。第十四条による。

 どういうものが、正義に当たる制度なのだろう。客観には定められないけど、色々ある中で一つには批判をうながすのは良い制度だ。批判を禁じるようなのは良くない制度である。政治で、権力者への批判をうながす。

 本質をぎんみすることなのが批判であり、どんどん批判をして行けるようになるものはよい制度だろう。政治で批判をどんどんやっていって、本質をぎんみして行く。抑制と均衡(checks and balances)だ。政治の権力を抑制(check)して行く。自由主義(liberalism)だ。中立な立ち場から判断する思想である。

 なかなかできづらいのが、政治における抑制だ。抑制がかかりづらい。大事なものではあるけど、できづらいのがあって、しばしば抑制が外れてしまう。抑制をはずす。声が大きい人が言うことがまかり通る。受けが良いことを言う人がもてはやされる。集団が暴走して行く。暴走に歯止めがかからなくなる。兵庫県であれば、それが暴走していって、はめつにいたる。(破滅にいたらないまでも)こん乱が深まって行く。ばらばらの状態(chaos)になる。

 民意を重んじる。選挙で示された民意を重んじるのはよいけど、集団の悪さを見て行きたい。抑制と均衡がしっかりとかかっていないと、兵庫県なら、その集団が一つの方向へ流されて行く。抑制と均衡を欠き、集団の中に多様性がないと、安定性を失う。不安定さをまねく。多様性と安定は相関するのである。経済でいえば市場の仕組みだ。市場の中にいろいろな多様な商品があることで、つり合いがおきる。不つり合いになりづらい。適者が生存(survival of fittest)して行く。

 選挙で示された民意を重んじるのはいるけど、集団がおちいりやすいこととして、危険さとおろかさをあげられる。兵庫県なら、その集団が危険さへと進む。危険性への移行(risky shift)だ。集団がおろかになってしまう。集団の浅慮(せんりょ)だ。個人としてはかしこい人がいても、集団としてはおろかになる。集団の思考(groupthink)である。

 兵庫県の知事をめぐる、それぞれの主体を見て行く。主体を見て行くと、実践の正義をなしていることもあれば、そうではないこともある。行動者なのが主体だから、その主体が色々なことをやっていることの範ちゅうの中には、良い価値をもつものもあれば負の価値を持つものもふくむ。良い価値をもつものは、実践の正義だ。主体が、すでにある正義に当たる制度を使って行く。

 なんで斎藤知事は、三人の人たちから告発されたのだろう。三人の人たちから告発を受けたのは、正義に当たる制度がすでにあったからである。三人の人たちは、すでにある正義に当たる制度を使って、斎藤知事を告発したのだととらえることがなり立つ。

 政治家としての器が大きい。どうぞ正義に当たる制度を自由にどんどん使ってほしい。政治家としての器が大きくて寛容なふるまいをしたのだとはできないのが斎藤知事だろう。正義に当たる制度を使わせないようにした。実践の正義をなせないようにする。上から、正義に当たる制度を使わせないようにして、実践の正義をなせないようにするのは、よくない行動だ。

 総合でとらえて、どの主体がよいか悪いかといったふうに見るのではなくて、細かく見て行く。それぞれの主体が、良いことをすることもあれば、悪いことをすることもふくむ。

 その主体が丸ごと良いのか悪いのかとするのだと総合のとらえ方になってしまう。総合によるのではなくて、細かくして行くと、告発をした三人の主体である兵庫県の職員と大学の先生と弁護士は、よい行動をした。実践の正義に当たる見こみが高い。

 三人の人たちから告発されたところのものである斎藤知事は、よくない行動をしたところがある。実践の正義には当たらない。上から、正義に当たる制度を使うのをじゃました。

 実践の正義どころか、不正をしたうたがいが低くはないのが斎藤知事である。不正をしたうたがいがあるのだから、三人の人たちから告発されたのは必要なことだとすることがなり立つ。告発の必要がかなり高いのだから、それが許容されることがいる。

 許容されることがいるのにもかかわらず、三人のうちの一人である兵庫県の職員による告発を斎藤知事は許容しなかった。許容しないのではなくて、許容するべきだった。告発の必要性の高さを軽んじるのではなくて重んじることがいるのがあるけど、不要だとしたのがよくない。もしも不要なのだとすると、斎藤知事がいっさい告発されることがなくなるから、実践の正義がなされなくなる。正義に当たる制度が使われない。

 斎藤知事を告発した三人の人たちを含めて、色々な主体がどんどん実践の正義をなして行く。正義に当たる制度をどんどん使って行く。必要があれば、正義に当たる制度を使うようにする。日本の政治を少しでも良くするためには、上からよい行動をじゃましてはいけない。

 主体が、実践の正義をなすことを、どんどんうながして行く。主体によるよい行動をうながすためには、いまの日本の憲法を重んじることが大事だ。憲法は、正義に当たる制度の核となるものだからである。憲法を軽んじることで、個人がもつ個性が否定されたり、監視が強められたりするのはよくない。

 参照文献 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『思考の「型」を身につけよう 人生の最適解を導くヒント』飯田泰之(いいだやすゆき) 『微分積分を知らずに経営を語るな』内山力(つとむ) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『憲法が変わっても戦争にならない?』高橋哲哉斎藤貴男編著 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『希望の国の少数異見 同調圧力に抗する方法論』森達也、今野哲男(企画協力、討議) 『経済ってそういうことだったのか会議』佐藤雅彦 竹中平蔵(へいぞう)