【国が殺しにかかってくる】
①「生物兵器」とまで言われる新型コロナウイルスワクチン
②敗戦とアメリカによる間接統治がつづく日本
③忍従の奴隷づくり、本質を考えようとさせない教育
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国というものは国民の生命、財産、安全を守るものである。本来そういう役割をもつもの、と思っていた。
しかし、コロナ渦以降考えが変わった。
国が人々を守るどころが、殺しにかかってくる。国民を分断させ、財産を搾り取ろうという本質が顕わになった。マスコミも大いに加担している。
そんなことを言うと、陰謀論だと言われるかもしれない。
しかし、国がどれほど国民を欺き、分断させ、嘘を重ね、マスメディアを使って煽ってきたか。列挙は暇なし。煩瑣になるので、一つひとつデータを挙げられないが。
たとえば、新型コロナウイルスワクチン。いまや「生物兵器」とまで言われるようになってきている。そのうちマスコミも含めて、その煽りデマのありようが暴露されるよ。
ワクチン後の超過死亡者数は50万人近くになっている。厚労省の発表する、毎月の死亡者統計をもとに、ワクチン前の三年間の平均値と比較して計算した。厚労省は、コロナ禍のために健康管理がわるくなって死亡者が増えたというのだが‥‥。
ワクチン接種に関連する健康被害の申請や認定は、受理件数が12,532件、認定件数が8,598件(新型コロナウイルス感染症予防接種健康被害審査第三部会の審議結果)死亡認定数は878名(福岡大臣会見 令和6年10月25日)。これからも増加する。
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さて、大本の話。国とは何かその実態は何か。
ざっくりいうと、マルクスじゃないけど、幻想の共同性(ヘーゲル法哲学批判)じゃあなかろうか。
一つのシンボルあるいは官僚制による支配の構造と言ったらいいのか。そして日本は、いわば官僚制国家社会主義みたいになっているんじゃなかろうか。
そのようになっている原因のひとつとして、敗戦がある。
徹底した敗戦によって、以来、日本はアメリカの間接統治の下にある。独立国家となりえていない。独立していると思い込まされている。
アメリカの基地及び施設は、国内に130以上もある。横田基地は制空権をもつ(横田空域。新潟県から東京西部、伊豆半島、長野県まで広がり、高度は約3,700mから約7,000m。横田空域では、日本の航空機は飛ぶことができない)。
そして、日米安保条約と日米地位協定の存在。アメリカ軍と日本の官僚のトップとの会談でほとんどがきまる。会談というかたちのアメリカの言いなり。
そうした背景から、アメリカからポンコツの戦闘機を高額で買うことになったり、ウクライナやら海外のあちこちにぽんと何千億、何兆円も資金を援助してる。
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日本ってどうしてこうなった?
そのことを考察していくと、敗戦後の日本の歴史を見ていかなくちゃ本質がわかりにくい。さらには、明治維新あたりから。
戦後、占領軍のアメリカは、日本を間接統治した。そのためには、官僚制を残し、政界の黒幕やマスコミを使ってコントロールしている。
新興宗教(統一教会、創価学会など)も民衆支配のツールとして使われている。これは、別の機会に投稿する。
日本を動かしてきた政治家やマスコミ、黒幕たちはCIAのエージェントであったことをみてもわかる。
岸信介(元総理大臣、安倍晋三の祖父)、児玉誉士夫(政界の黒幕、右翼の大物)、笹川良一(競艇の元締め、日本財団)、正力松太郎(読売新聞社主、日本テレビ社長、読売ジャイアンツ初代オーナー、原発を推進し「原子力の父」と呼ばれる:CIAエージェントとしてのコードネームはPODAM)、緒方竹虎(朝日新聞副社長、主筆:CIAエージェントとしてのコードネームはPOCAPON)など。
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ともあれ日本はアメリカの属国、アメリカの言いなり。
しかし、そのアメリカ自体も背後には、軍産複合体さらには医療利権、企業の持ち株会社であるとか国際金融資本の存在がある。
いわゆるディープステートと言われる闇の支配構造がある。トランプがこれらの闇の勢力にどこまで切り込めるか。
国家の構造それ自体が官僚制である。誰もが規定と手順に従って動くようになる。まるでアルゴリズムである。
本質的なところを探求して、あれこれと主張しいちいち逆らっていくと、何にもできない。権利そのものが奪われてしまう。
例えば、私が病院に行った際、問診票に書き込み、コロナのチェックを行い、採尿、採血、レントゲン、CTスキャンなど自動的な流れに乗っかって医者の診断となる。医者は過去の事例によって、こういう病気でありこういう戦略で行く。それで、検査入院、薬の投与が始まるとまた入院と自動的に決まってゆく。それに対して一つ一つ理由を問うたり、考えたり、論議したら、そもそも病院は受け入れてくれない。
それがいわば、アルゴリズムだ。学校も企業も病院も軍隊も、みなそうなっている。
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この社会に生きてたら、流れに従わざるを得なくなってくる。従順な奴隷として生きることになる。そのことで安定した人生が得られる。小学校に入学してからずっと、そういう流れの中に入っている。
本質的なことを考えたり論じたり探求しようという機会は少ない。そういう習慣がそもそも作られない。
私など、学校の勉強はしたけれどもそれは、考えるということではなくて覚えるであり、試験のためにいい点数を取るためであった。本質的なことは、ちっとも考えようとはしなかった。考えてしまうと、いい点数が取れないからね。
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会社員時代もそうであった。いろいろと物事の本質について考え出したのは、サラリーマンをやめてからだ。フリーランスとなって、インドに行ったり、いろんな人に出会ったりした体験から、それまでの価値観がゆらぎ物事の本質を見極めていこうという流れになった。
そうした試みとして、Facebookに書き込むことで、頭を整理して探求を深めようとしている。書くことが最も学びになるからだ。そして、書くことを趣味にしてしまえば人生の楽しみは増える。何が起きても、それは書く素材だからね。