その先へ。
子どもがヒロアカ2周目していて一緒に見ながら自分も入り込んで葛藤したり熱くなったりしてる。
文字通り(literal)と神話的(mystic)、2つの視点を持ちながら見る。
ヒロアカの世界は個性が文字通り現実にあらわれて描かれる。
個性というのは、その人のその人らしさみたいなもの。
たとえば爆豪勝己は手からニトロのような汗を爆発させる。
アニメという表現の中では文字通り爆発してそのエネルギーが自分の体を前進させたり敵を攻撃したりする。
爆豪勝己のもつ個性を神話的な意味で理解するとき、個人のエネルギー産生が劇薬ほどに活発であり、前進していくエネルギーであり、なんとなく太陽ぽいとか思う。
それを表すことが自分自身が生きているということなんだろう。
現実の人間社会では個性を活かすためにとても技術がいる。
本能的に生きていた頃には考えなくてよかったことが多くて。
動物的な部分から複雑に進化したからには個性も複雑になっていって、集団で生命をつないでいくための工夫が求められている。
じゃあ無個性のデクはどういう捉え方をするかと考えると、受け入れる能力だったり活かす能力だったり、受け継ぐ能力だったりするのかなと思った。
オールマイト(almight全能の)から受け継いだもの、受け継いでさらにその先へ。
全部を活かしていく。
自分自身がヒロアカであるとしたら、自分の中に爆豪もデクもお茶子も焦凍もオールマイトもオールフォーワンも死柄木も、全部を可能性として持っていて、どれをたくさん持ってきたか。
いつも同じではない、全く違う人間同士が生きている中で、その時その場所でわたしはどれを発現させるのかを決めていく。
ヒロアカ全部読んでないからわたしの妄想を繰り広げているだけなんだけど。
現実にちゃんと向き合って理想の先を見るヒーロー像を、ヒロアカに映し見ている。
子どもがアイスのレディボーデンが好きで、器に分けながら、わたし(母)、手からレディーボーデンが出てくる個性やったらどうしよ、としゃべっていた。
母「ヒーロー名、レディレディボーデンになるのかな?」
子「いや癒しヒーローレディボーデンやろ」
母「次男はレディボーデンが癒しなんやぁー」
子「手から癒しが出てくるからヒーローていうかお医者さんやな」
あー子どもはわたしにとって癒しヒーローかもしれない。