黒柳徹子の若い頃を見たことある? 美人でかわいい当時の写真がコチラ
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森昌子の現在に、黒柳徹子がドン引き!? 引退を惜しむ声 森昌子(もりまさこ)さんは、日本を代表する女性歌手の一人で、女優としても活躍しています。60歳となった森昌子さんは2019年3月に、2019年末で芸能生活から引退することを発表。そんな森昌子さんのこれまでの活躍や、ネット上で話題となった黒柳徹子さんとの共演について詳しく見ていきましょう。
俳優やタレント、司会者などマルチに活躍する黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)さん。
その好奇心は80代になっても失われることはなく、2016年9月にインスタグラムを始め、多くの人を驚かせました。
そんな黒柳徹子さんの、話題になった若い頃の写真や、恋人についてなど、さまざまな情報をご紹介します。
黒柳徹子ってどんな人? ユニセフ親善大使としても活躍
まずは黒柳徹子さんのプロフィールをチェックしていきましょう!
生年月日:1933年8月9日
出身地:東京都港区乃木坂
血液型:A型
好きな食べ物:アイスクリーム
所属事務所:吉田名保美事務所
自由すぎる行動で小学校を退学に!?
黒柳徹子さんは、ヴァイオリニストとして活躍した父・黒柳守綱さんと母・朝さんの長女として裕福な家庭に生まれました。
子どもの頃から個性的で、おてんばな性格だったという、黒柳徹子さん。
小学1年生の頃、授業中に机のフタを開け閉めしたり、ちんどん太鼓と呼ばれる楽器を鳴らすなどして商品や店舗の宣伝をする『ちんどんや』を学校に呼び込んだりするなどの自由奔放な振る舞いによって、入学から3か月で退学処分となってしまいました。
転校先の『トモエ学園』は、子供の個性を大事にする自由な校風だったのだそう。
特に、当時同学園の校長だった小林宗作(こばやし・そうさく)先生は、黒柳徹子さんに会うたびに「君は本当はいい子なんだよ」と、いつも優しく声をかけてくれたといいます。
天真爛漫さゆえに、失敗も多かったという黒柳徹子さんにとって、小林宗作先生の言葉は何よりも自信になったでしょう。
黒柳徹子さんの『興味があることになんでもチャレンジする』という性格は、小林宗作先生との出会いによって育まれたものなのかもしれませんね。
幸せな暮らしから一変 つらい戦争体験も
4人兄弟の長女でもある、黒柳徹子さん。実は、長男の黒柳明児さんは子供の頃に敗血症で亡くなっています。
仲がよかった弟の突然の死を悲しむあまり、弟が生きていた頃の記憶は、ほとんどないのだそう。
明児さんが亡くなった後すぐに、父親の黒柳守綱さんが戦争に出征。黒柳徹子さんは家族に連れられて青森へと疎開し、それまでと暮らしが一変したといいます。
弟の死を悲しむ間もないまま、過酷な戦争を体験した黒柳徹子さん。
1984年からユニセフ親善大使として、危険な紛争地域を何度も訪問し、子供たちへの熱心な支援活動をおこなってきました。
ユニセフでスマトラ沖地震の被災者支援に現地を訪れた黒柳徹子さん 2005年
黒柳徹子さん自身も、戦争の頃につらい経験をしてきたからこそ、苦しみを抱える人々の気持ちを理解し、寄り添うことができるのかもしれませんね。
黒柳徹子はテレビ女優第1号 意外すぎるNHKの志望理由とは
戦後、黒柳徹子さんはオペラ歌手を目指して東洋音楽学校(現:東京音楽大学)を卒業。しかし、途中でオペラ歌手を諦め、俳優を志します。
その理由は、なんと「人形劇のできるお母さんになりたいと思ったから」なのだそう。
1953年、NHKが募集していたテレビの専属女性俳優に応募して、見事合格。『NHK東京放送劇団』に入団し、テレビに出演した初めての女性俳優としてデビューしました。
駆け出しの頃の黒柳徹子さんは、独特の話し方や強い個性を指摘され、大変悩んでいたのだとか。
後年、黒柳徹子さんは著書『トットチャンネル』の中で、NHKに応募した経緯やデビュー当時のことを詳しく語っています。
インタビューを受ける黒柳徹子さん 1963年
そんな黒柳徹子さんに、ある時転機が訪れました。
1954年、黒柳徹子さんはラジオドラマ『ヤン坊ニン坊トン坊』(NHKラジオ)で、三男・トン坊役に抜擢。黒柳徹子さんにとって初の主演となりました。
トン坊役を演じる中で「個性的な話し方が面白い」と評価され、1960年には子供向けテレビ人形劇『ブーフーウー』(NHK)に出演。これ以降、さまざまなキャラクターの声を演じるようになります。
同時に、テレビドラマ『若い季節』(NHK)や、バラエティ番組『夢であいましょう』(NHK)など、当時の人気番組にも出演。多数のレギュラー番組を抱える人気俳優となりました。
黒柳徹子は30代半ばでニューヨークに留学 その後マルチタレントへ
芸能界で忙しい日々を送っていた黒柳徹子さんは、30代半ばの頃、舞台での演技とダンスを学ぶために芸能活動を休止。
1971年に、アメリカ・ニューヨークで1年間留学しました。
黒柳徹子さんは帰国後、トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)の前身番組で、司会のオファーを受けて帰国。
テレビ番組『13時ショー』(テレビ朝日系)でメイン司会者を務める黒柳徹子さん 1972年
当時の黒柳徹子さんは、1年間のブランクがあっても仕事は減らず、後に大ヒットとなる音楽番組『ザ・ベストテン』(TBS系)など、司会の仕事が次々と舞い込みました。
トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日系)収録中の黒柳徹子さん 1981年
黒柳徹子さんは随筆業でも才能を見せ、1981年には、自身の幼少時代をつづった自叙伝『窓ぎわのトットちゃん』を出版。
累計出版数が800万部を超える大ヒット作となり、世界35か国で翻訳版が読まれています。
黒柳徹子のインスタが大人気! 驚きのフォロワー数は…
テレビや舞台の仕事以外にも、ユニセフ親善大使、日本パンダ保護協会名誉会長など、さまざまな分野で活動している、黒柳徹子さん。
2016年には、『徹子の部屋』にゲスト出演したミュージシャンの福山雅治さんの提案を受けて、自身のInstagram(以下、インスタ)を開設しました。
※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。
2025年3月現在、黒柳徹子さんのインスタフォロワー数は、なんと120万人以上!
日常の様子や、ファッション、お気に入りのアクセサリーなどの画像が日々投稿され、チャーミングでセンスあふれる世界観が好評です。
黒柳徹子の若い頃の写真がかわいい! 当時のエピソードが心に響く
黒柳徹子さんは自身のインスタの中で、デビュー当時やニューヨーク留学時代など、若かりし頃の貴重な写真をたびたび投稿し、ネットで話題になっています。
2018年6月13日には、ニューヨークに滞在していた時の写真と当時のエピソードがインスタに投稿され、大きな反響を呼びました。
黒柳徹子の『38歳の転機』 多くの女性の心をつかんだ理由とは?
ニューヨークに留学して1年が経過した時、黒柳徹子さんはもう1年ニューヨークに滞在するか、帰国して司会者の仕事を受けるかを悩んだ結果、帰国を決めました。
黒柳徹子さんは当時を振り返り、次のように語っています。
当時は女性は結婚することが当たり前だったといいますが、そういった世間体ではなく『本当に自分のしたいこと』を大切にした、黒柳徹子さんの勇気が垣間見えますね。
黒柳徹子のTシャツが話題に
黒柳徹子さんは以前から、Tシャツなどのオリジナルグッズを販売しています。
2018年7月のインスタでは、本人いわく「40年ぶりに着た」というTシャツ姿を披露。
黒柳徹子さんが着用したTシャツは当時、すぐに売り切れるほど人気でした。
これ以来、黒柳徹子さんは自身のTシャツ姿が気に入ったようで、Tシャツを着た姿をたびたびインスタに投稿しています。
黒柳徹子には遠距離の恋人がいた! 気になる恋愛観は?
黒柳徹子さんは2025年現在、独身です。
しかし、2017年9月27日に放送されたバラエティ番組『1周回って知らない話SP』(日本テレビ系)では、40年以上遠距離恋愛をしていた恋人の存在を明かしました。
相手と会えるのは年に1~2回だけという、限られた時間の中で交際をしていましたが、相手が亡くなってしまったため、結婚のタイミングを逃してしまったのだそう。
また、2017年8月26日に放送されたチャリティー番組『24時間テレビ』(日本テレビ系) 恋愛の悩みを抱えるトランスジェンダーの若者に対して、自身の恋愛観を次のように語っています。
黒柳徹子さんらしい、真っ直ぐな言葉ですね。素敵な恋愛をしてきたからこそいえることではないでしょうか。
黒柳徹子の現在の活躍は?
前述の『徹子の部屋』を始め、2025年現在も芸能活動をおこなっている黒柳徹子さんですが、活躍の場は芸能界にとどまりません。
子供の頃からオシャレなものや美しいものが大好きだという、黒柳徹子さん。
ビーズや刺しゅうの施されたドレスや、アクセサリーなど数多くのコレクションを持っていて、インスタでもよくお気に入りの品を投稿しています。
そんな黒柳徹子さんは2017年に、ビーズ刺しゅうデザイナーの田川啓二さんと、展覧会『SU・TE・KI!展』を全国各地のデパートで開催しました。
そのほか、黒柳徹子さんは毎年夏に、自身が副理事長を務める『東京フィルハーモニー交響楽団』のハートフルコンサートの司会を務めています。
このコンサートは平和を願うコンサートであり、開催日は終戦記念日である8月15日です。演奏の合間に挟まれる、黒柳徹子さんのトークを楽しみにしている人も多いのだとか。
個性的で純粋なキャラクターと、さまざまな物事に好奇心を持って、臆せず挑戦する姿が愛されてきた、黒柳徹子さん。
これからも元気に、素敵な姿を見せてほしいですね。
[文・構成/grape編集部]