『徹子の部屋』に出演 そのときに気づいた黒柳徹子さんの優しい気遣い By - 押阪 忍 公開:2018-06-03 更新:2018-06-12 押阪忍連載黒柳徹子 Share Post LINE はてな コメント こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。 ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独り言』にお付き合いください。 『徹子の部屋』に出演して 【2】アナウンサー押阪忍の『美しいことば』 『徹子の部屋』に出演して 【1】 はこちらから 押阪忍夫妻『徹子の部屋』に出演 その舞台裏で緊張の『DJ OSSHY』は 昨年の暮れ、私は、『腹部大動脈瘤(りゅう)』という厄介な病気のため、入院手術をして、この春は、自宅でリハビリに務めておりました。俳優の大杉漣さん、阿藤快さんが亡くなられたあの病気です。『瘤』が血管内で破裂すれば、即刻重篤な状態に陥るという怖い病気です。 退院して2か月以上が経ちましたが、執刀医の想定より術後の状態が悪かったので、仕事や運動なども控え目にして、ほぼ静養の毎日でした。そのことが『徹子の部屋』のスタッフの耳に入り、「快復すれば出演を…」という嬉しい依頼を受けました。不思議なものですねぇ、オファーを受けたその日から、なんだか体調がよくなったように思えたものでした。 さていよいよ出演の日。本番収録スタートです。 写真提供:SOPromotion 黒柳さんは、やはり私の体調のことをお聴きになりました。全身麻酔で5時間の手術、集中治療室、咽喉麻酔のためか2週間声が出にくかったことなどをお話しました。ワイフのアヤ子さんは、重度の呼吸器障害者なのですが、酸素吸入器から酸素をとり入れながら“濡れ落ち葉”の亭主のために、毎日病室に出勤したことなどを、アヤ子スマイルで話をしていました。 初登場の長男『DJ OSSHY』は、お部屋の入口で30~40秒ほどの自己紹介をしてから、私の隣りに座りました。緊張、興奮しているのが、息遣いですぐに判りました。 徹子さんは、そんなDJ OSSHYをあの笑顔で迎えてくださり、彼が首に掛けている銀色のヘッドフォンにふれ、「掛けてみたいなぁ」など、DJ OSSHYを喜ばせる雰囲気を最初から作ってくださいました。 そして、家族3人が三様に楽しく話し笑い合った、生涯思い出に残る『徹子の部屋』となりました。 黒柳徹子さん、お心遣い、本当にありがとうございました。 写真提供:SOPromotion 徹子の部屋 出演予定 2018年6月4日(月)12:00〜12:30 <2018年6月> フリーアナウンサー 押阪 忍 1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典なども行う。2018年現在、アナウンサー生活60年。 日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。 ギャル曽根流のポテサラに「今日の夕飯決まった」「その発想はなかった」ギャル曽根さん親子が教える、ポテトサラダレシピに「奥が深い」「その発想はなかった!」の声が上がりました。 「本当に天才」「ペロッと完食」 ロバート馬場が教えるこんにゃくレシピが、激ウマ!味見のはずが…手が止まらない!馬場裕之さんが教えるこんにゃくレシピが絶品です。 Share Post LINE はてな コメント
こんにちは、フリーアナウンサーの押阪忍です。
ご縁を頂きまして、『美しいことば』『残しておきたい日本語』をテーマに、連載をしております。宜しければ、シニアアナウンサーの『独り言』にお付き合いください。
『徹子の部屋』に出演して 【2】
アナウンサー押阪忍の『美しいことば』
『徹子の部屋』に出演して 【1】 はこちらから
押阪忍夫妻『徹子の部屋』に出演 その舞台裏で緊張の『DJ OSSHY』は
昨年の暮れ、私は、『腹部大動脈瘤』という厄介な病気のため、入院手術をして、この春は、自宅でリハビリに務めておりました。俳優の大杉漣さん、阿藤快さんが亡くなられたあの病気です。『瘤』が血管内で破裂すれば、即刻重篤な状態に陥るという怖い病気です。
退院して2か月以上が経ちましたが、執刀医の想定より術後の状態が悪かったので、仕事や運動なども控え目にして、ほぼ静養の毎日でした。そのことが『徹子の部屋』のスタッフの耳に入り、「快復すれば出演を…」という嬉しい依頼を受けました。不思議なものですねぇ、オファーを受けたその日から、なんだか体調がよくなったように思えたものでした。
さていよいよ出演の日。本番収録スタートです。
写真提供:SOPromotion
黒柳さんは、やはり私の体調のことをお聴きになりました。全身麻酔で5時間の手術、集中治療室、咽喉麻酔のためか2週間声が出にくかったことなどをお話しました。ワイフのアヤ子さんは、重度の呼吸器障害者なのですが、酸素吸入器から酸素をとり入れながら“濡れ落ち葉”の亭主のために、毎日病室に出勤したことなどを、アヤ子スマイルで話をしていました。
初登場の長男『DJ OSSHY』は、お部屋の入口で30~40秒ほどの自己紹介をしてから、私の隣りに座りました。緊張、興奮しているのが、息遣いですぐに判りました。
徹子さんは、そんなDJ OSSHYをあの笑顔で迎えてくださり、彼が首に掛けている銀色のヘッドフォンにふれ、「掛けてみたいなぁ」など、DJ OSSHYを喜ばせる雰囲気を最初から作ってくださいました。
そして、家族3人が三様に楽しく話し笑い合った、生涯思い出に残る『徹子の部屋』となりました。
黒柳徹子さん、お心遣い、本当にありがとうございました。
写真提供:SOPromotion
徹子の部屋 出演予定
2018年6月4日(月)12:00〜12:30
<2018年6月>
フリーアナウンサー 押阪 忍
1958年に現テレビ朝日へ第一期生として入社。1965年には民放TV初のフリーアナウンサーとなる。以降TVやラジオで活躍し、皇太子殿下のご成婚祝賀式典なども行う。2018年現在、アナウンサー生活60年。
日本に数多くある美しい言葉。それを若者に伝え、しっかりとした『ことば』を使える若者を育てていきたいと思っています。